にゃんぞぬデシの日々を毎月22日に更新します。
2024.10.22 ダチ
先日、小学校の同級生の結婚式に行ってきた。同級生という言葉って、ただ関係性を説明しているだけなのでなんとなく冷たい印象がある。その友達はずっと仲が良くて、温かい。美容師さんをやっていて、会うと自然と前向きな気持ちになってしまうような人だ。
その子を中心に地元のみんなで半年に一回くらいご飯にいく。にゃんぞぬデシのライブに来てくれたりもするのだ。とてもうれしい。私にもいた。地元のダチ。
その、ダチもみんな結婚式に来ていた。
普段遊ぶ時はあまり仕事の話にならないのだが、結婚式となるとそれぞれが小学校卒業ぶりに会う同級生もいたりして、自己紹介の流れでダチのみんなも仕事の話をよくしていた。
カリスマ美容師・キャビンアテンダント・一級建築士・ボードゲーム作る人・イギリスに半年間赴任してこの前帰ってきた人。
ダチのみんなが何の仕事をしているか知ってはいるが、いざババババッと一斉に口に出されると、みんな私と同じ月日を生きてきた人たちなのにすごすぎる!!と、なる。
そして、そのバトンが私にも回ってきた。「最近どんな感じなの?」と、聞かれた。
なぜか〝最近〟というワードに引っ張られて私の頭に浮かんだのは昨日のことだった。
6歳からの友達の結婚式に行く前日、相当テンションが上がっていた。私は毎年五百円玉貯金をしているのだが、急に開封の儀を始めたくなってしまったのだ。ちなみに前回開けたのは、タイの作曲合宿から帰ってきてテンションが上がっていた時だった。
そして、五百円玉貯金の結果は、あまり貯まっていなかった。過去最低レベルに貯まっていなかった。最近、私の心を一番揺すぶったのはその一件であった。だからそのまま「最近は五百円玉貯金が貯まってなくてショックだった」と言ってしまった。
すぐにミスったとわかった。
みんな仕事の話をしていたのに、一人だけ五百円玉貯金の話・・・
しかも、仕事の話をするのならクラウドファンディングが成功したり、楽曲提供したり、ワンマンライブをしたり、できる話はいっぱいあるのに。しかし、気付いた頃にはすでに他の話題へ進んでいた。時は待ってくれない。
カリスマ美容師・キャビンアテンダント・一級建築士・ボードゲーム作る人・イギリスに半年間赴任してこの前帰ってきた人・五百円玉貯金が下手になった人。
結婚式の帰り際、その日初めて会う、友達の旦那さんとも話せるタイミングがあった。すると、いきなりにゃんぞぬデシの「ネゴト」を小声で歌い出したのだ。なんと、目覚ましのアラームに設定してくれているらしい。他の曲もメドレー形式の鼻歌(小声)まで披露してくれた。あれは正真正銘のファンであった。私の〝最近〟が塗り替えられた歴史的瞬間だった。
2024.09.22 大人になったねえ
この言葉を言われると、かなりゾワッとする。なぜなら、それを言っている時、当人はあたかも自分は歳を重ねていないような表情をしているのだ。
私は言いたい。「私に対して大人になったねと思う分、あなたも同じ月日を生きてきたんですよ?」と。こんなことを普段から思っているからか、私は誰かに対して「大人になったねぇ」と思った経験が無かった。
しかし先日、中高の三つ下の友達と高校卒業ぶりにご飯を食べに行った時、私の歴史が変わった。友達がご飯を食べる際、お酒を飲んでいた。その光景を見た私は「え!あんなに子供だったあの子が!!お酒を!?!?大人になっている!!!」と、頭の中で衝撃が走った。
これは個人的には、その子がお酒を飲んでいる衝撃、そして、自分が誰かに対して大人になったらねぇと思っていることに対する衝撃だった。
私の頭の中でその友達は完全に中学三年生で止まっていたのだ。
定期的に会う人は、その人の人生や変化を追うことができるが、あまり会う機会がなかった人はそれが出来ない。これは、ドラマの話数を飛ばして観るみたいな感覚に近いかもしれない。実際に人と会うと最近の嬉しかったこととか悲しかったこととか沢山話すわけで、会って話すってその人のドラマ観てるんだ!(閃き)
一日一日の毎日を進んでいる友達の生活や人生を自分の記憶の中で止めていただけなのに、久しぶりに会った時に「大人になったねぇ」と、だけ感じるのはあまりにも自分主体であり、失礼であり、都合が良いのだ。
私は高校二年生の時にライブ活動を始めたので、当時私を知ってその後、私の音楽を聞かなくなり、時を超えて偶然SNSで流れてきた私の投稿に「大人になったねぇ」などと得意気に送ってくる人がたまにいる。しかし、それは追っていない証拠なのである!笑
なので、「大人になったねぇ」と言いたいときは、「大人になったねぇ。長い間、私が無関心で生きてきた証拠だねぇ」をセットで言うことにしようと決めたのだ。
その友達には、また一年後くらいに会おうと思った。私も一年間無関心だ。
2024.08.22 熱い夏になります
その宣言から、にゃんぞぬデシの夏は始まった。そして、夏も終わりに近づいてきた今日この頃、やはり熱い夏であった。こんなに熱い夏ははじめてなので、ここに書き記しておこうと思う。
第一章「熱い夏の始まり」
約二ヶ月前の六月十九日、初のフルアルバムを制作するためのクラウドファンディングをスタートさせたが、みんなのおかげで一日で目標に達成した。クラファンを開いては、応援コメントをニヤニヤと読むという寝起きを送っていた。アルバムの準備も真っ最中だ。さらに、目標の200%まで残り7%だ。残りの十日間、まだまだ駆け抜けていきたい。
第二章「ピクニックライブ」
5年ぶりにピクニックライブを開催することができた。これは路上ライブではなく、大きな公園で私もみんなも芝生に座って歌を聴いてもらうというすごい好きなイベントだ。大好きな横浜・山下公園で、山下公園で作った「風とイルカと恋」を歌った。
第三章「夢のはじまり」
楽曲提供をした二曲が発表になった。私は曲を作ることが大好きだ。最近では好きという次元を超えて、もはや息をするとか、瞬きをするのと同列に自然現象のように曲を作っている。
高校の卒業文集に「楽曲提供がいっぱい出来る歌手になりたい」と書いた。昔から好きだと思う曲を見つけると、必ず誰が作ったのかが気になり調べていたのだ。音楽活動をはじめてからずっと目指していた夢が叶いはじめた感覚があって、その時を応援してくれているみんなと共有できてとてもうれしい。
第四章「思い出めぐっても」
TBSラジオ「ハライチのターン」で、毎年岩井さんのお誕生日の曲を作らせていただいているのだが、今年で六年目となった。今年の曲は自分の中で一番好きな曲ができた。「思い出めぐっても」という曲だ。いつか歌詞を少し変えてにゃんぞぬデシの曲にするかもしれない。
第五章「猫のお誕生日会」
八月四日ににゃんぞぬデシの誕生日ライブを行った。大好きな琴音ちゃんがスペシャルゲストで来てくれて、猫写真展も開催した。琴音ちゃんと一緒に「夕焼け、恋と影法師」という曲をつくって歌った。最後にサプライズで琴音ちゃんが猫のビーズアートをプレゼントしてくれた。プレゼントされる前に琴音ちゃんとお客さんがハッピーバースデーを歌ってくれてグワァァっとなった。
第六章「デシニストの真実」
ハグロックに出演した。出番はお昼過ぎ、とても晴れていて久しぶりに見る太陽であった。
MCで「写真家としては岩合光昭さんを目指しています」と、発言したところ、八月四日の猫のお誕生日会ではみんな微笑んでくれたが、ハグロックでは会場が静まっていた。そこから判明したことは、にゃんぞぬデシのリスナーさん(密かに勝手に、デシニストと呼んでいる)は岩合さんのことを知ってそうな方が多いということだ。すなわち、猫好きの人が多いのだ。
第七章「熱い夏の締めくくり」
既存のリターン・追加のリターンがご好評で在庫がなくなる中、にゃんぞぬデシカメラマンのみが今もなお、参加者は一名様だけである。実は、これが一番リターン開始が早いメニューである。この夏の締めくくりににゃんぞぬカメラマンに写真を撮られる経験をするのはどうだろうか。
2024.07.22 弁護士になりたい事件
一ヶ月ほど前に私には新たな目標が出来た。それは、タイトルにもある通り「弁護士」になることである。
今年のゴールデンウィーク、私は舞台に出演していたのだがその帰りに乗った電車で酔っ払いに足を踏まれたのだ。
席はポツポツと空いているくらいで、私も座って乗車していた。すると、途中の駅から酔っ払い男女五人組が乗って来たのである。五人組は私が座っている目の前に存在することを決めたようだった。全員年齢は三十歳くらいで、いつもは真面目に働いていそうな雰囲気を醸し出しつつ、恐らく地元のイツメン。久しぶりにみんなの休みが合ったため、飲みに行った帰りだ。そもそも私の偏見だが、イツメンで集まる人々にろくな奴はいないと思っている。群れないと行動できない。五人という大人数でご飯を食べても大してろくな話していない。上部だけをなぞるだけで、酒で酔ったことによって脳が楽しいと錯覚しているだけの奴らである。そういう奴と一対一で話したりすると妄想力とか欠如してて本当につまらない。あくまで私の偏見である。いや、ただの偏見ではなく私が二十五年間拝見してきた人間の傾向を元に生まれた偏見である。
そして、その五人の内の女子二人が私の目の前で手押し相撲のようなことを始めたのだ。すると、強く突き飛ばされた一人の踵が私の右足にクリーンヒット!
足が踏まれたのだ!!手押し相撲に参加していなかった私が、一番の敗者となった。何が起きたのか、自分でもよく分からない。
踏まれた瞬間はそんなに痛くないと思っていたが、五分経っても痛みが引かなかった。幸い、踏んできた奴がまだ乗車していたので、頭の中が混乱しながらも勇気を出して電話番号だけ聞いた。骨折とかしてたら自腹で謎の怪我治療費を出すなんて許せない。
翌日もまだ痛みが引かなかったため病院に行くと、腱鞘炎のように筋が伸びており、全治一ヶ月とのことだった。
実際に病院に行ったので、聞いた電話番号にかけてみたが「現在、おやすみモードなので出れません」というようなアナウンスがされ、繋がらなかった。そして、時間を開けてかけてみるとなんと着信拒否にされてしまっていたのだ!
許せなすぎる!色々調べると、弁護士の資格をもっていないと携帯番号から個人情報を調べることはできないことが判明した。
弁護士という仕組みについて調べてみたが、キャパシティの狭い私にとって色々な相談や手続きは音楽活動の支障をきたすと思い、もう忘れることにした。
そんな、ある日の寝る前に「もしも薬剤師だったら・・・」「もしもキャットフードの開発をしていたら・・・」というように自分にいろんな職業に就いている妄想をしていた。そこでなんとなく「もしも弁護士だったら・・・」と、当てはめてみると、なぜかいままで当てはめてきた職業の中で一番しっくりきたのだ。学生の頃目指していた薬剤師よりも遥かに超絶しっくりきたのだ。そういえば、いつも色んな事件や裁判が気になって夜な夜なネットで調べている自分がいた。調べている時、自分はそんなことに興味がある怖い人間なのではないかと疑っていたが、あれは、許せないから調べていたのだ!
十年とか二十年とか長い年月をかけて、大きな目標にしよう!と決めたのだった。弁護士ンガーソングライターにゃんぞぬデシである。
もしも私が本当に弁護士になれたら、最初に遂行する仕事は決まっている。足踏んできたアイツの住所と名前、絶対につきとめてやる。
2024.06.22 突如クイズ大会
6月19日から、にゃんぞぬデシ初フルアルバムリリースに向けたクラウドファンディングをスタートさせた。ありがたいことに開始して一日目で目標金額の100%に到達することができた。ここから、また更にアルバムに収録する曲を増やしていきたいので、まだまだ頑張ります。本当に応援をありがとうございます。楽しいリターンをたくさん考えたので、気になっている方はぜひサイトを覗いてみてください。
そんな、6月19日、クラウドファンディングをスタートするためのカウントダウン配信を行った。いつもならば、スタジオから配信しているが、この日は夜に下北沢でライブがあったため、下北沢のカラオケを利用した。
私が十年以上前から行っているカラオケ店だったのだが、会員カードを持ってくるのを忘れてしまった。店員さんに会員カードの不所持を報告すると、名前と電話番号の下4桁を聞かれた。しかし、問題が発生した。
店員さんが言った。「あ、登録されてる電話番号、携帯じゃなくて固定電話でっぽいですね。」
完全にずっと使っていない固定電話。到底すぐに電話番号が出てくるはずがなく、頭の中をいろんな4桁が駆け巡った。カラオケ店は会員料金と一般料金がかなり違うので、絶対に間違えられない。運命の最終問題。時計の秒針の音、不協和音で構成されたようなBGMが鳴り響く。刻一刻と制限時間に近づいていく。もうダメ元でも、なんか出てきた4桁を言おう!と勢いよく放った。
「5633!!!」
そして、司会者は少しの沈黙を挟み答えた。
「正解!!!」と。
レジには二人店員さんがいたが、あの瞬間、確実に二人とも司会者だった。沈黙の間、プロの緊張感を放っていた。司会者が二人いるなんて、きっとゴールデンタイムの豪華なクイズ番組だ。
あんなに運命の最終問題を正解できるなんて、鳥肌ものだった。正解した時の感動は、クイズ以外では感じられないものであった。正解なのか、間違いなのか、その二択だけで運命が変わってしまうのだ。会員料金か一般料金なのか。クイズとは、未来を選択するものなのかもしれない。正解する前と後では世界がまるで違って見えたのだ。
私は、これを機にクイズ番組に出るかもしれない。
2024.05.22 ひどい一日
みんなはひどい一日を送ることがあるだろうか?私はたまに、ひどい一日を送ってしまう。ひどい一日の定義は、〝今日を過ごしたことによって、昨日と明日が何も変わっていない日〟だと思っている。
例えば、一日中寝てしまったというのはひどい一日ではない。なぜなら、昨日まで疲れてた身体をちゃんと休ませてあげているため、明日は少しばかり元気になっている可能性が高いからだ。また、一日中YouTubeやテレビを観て時が経ってしまったというのも全くひどくない。それらを観ることによって興味のある人について知れたり、その時すぐには役に立たなくても時間が経って思い出したりする可能性もあるので、意味のある一日だ。一日中ぼーっとするのも、ぼーっとしている時に大事なことを思い出したり、頭が整理されたりするのでひどくないのだ!!
私が思うひどい一日とは、ツムツムというパズルゲームを一日中やってしまう日である。五時間くらいずっとやってしまう。なぜなら、とても楽しいからだ。
ツムツムは十年前ほどに誕生したスマホゲームで、私は当時十五歳。ガラパゴス携帯とスマホの過渡期であった。そして、そもそも私は携帯すら持っていなかった。私は、どうしてもスマホが欲しかった。だって、画面に触れたら動いてくれるなんてすごすぎるし、小さいテレビみたいで楽しいし、YouTubeで好きなアーティストのMVもいっぱい観れるからだ。でも、スマホは契約などがあり一人では買えなかった。そこで、私は夏休みの間だけ誰にも言わずにバイトをし、iPod touchをゲットしたのであった。Wi-Fiが無いとネットに繋げないのと、電話機能は付いていない以外はスマホと同じだった。
スマホを早期に手に入れているクラスメイト達はツムツムの話で盛り上がっていたため、私もiPod touchにダウンロードしてみた。ゲームを立ち上げると、LINEの連絡先が同期されており、LINEで友達登録している人々の点数が貼り出されていた。LINEをやっているほとんどの人がゲームをプレイしていた。ランキングは一週間のうちにでた最高得点が表示されるので、一週間以上プレイしていないと表示されなくなる。私はゲームのちゃんとしたやり方がわからずずっと最下位のまま、すぐにアプリを開くのをやめた。
そんな私が一年前、なぜか急にツムツムのことを思い出した。ゲームを再開してみると十年越しにどんどんやり方やコツがわかってきたのだ。しかし、十年前ランキングを賑わせていた名前はほとんど消え去り、今や十名ほどの狭き戦いになっている。
ツムツムをやっている間は、ゲームに夢中でゲーム以外のことは考えていないし、高得点を出そうと必死なので体力も消耗する。なので、昨日と明日を比べても何も変化が生まれないのだ。それでも、ひどい一日をたまに過ごしたくなる。
私と同じ世代で、現在こんなにもレベルアップしているのは私くらいだろう。だれか仲間になってくれないだろうか。今日をひどい一日にしないか?
2024.04.22 ひどい
ひどすぎることが起こった。ギックリ肩になった。ギックリ肩はやばい。肩だけじゃなく、肩から繋がっている首もギックリ状態なのだ。五分で到着すると言って安心させておきながら、結局十五分待たせられたみたいな気持ちだ。
しかも、私は二ヶ月前にタイへ作曲合宿へ行ったのだが、帰国してから生きるパワーが倍増してる最中だというのに。
四月は、コンペ(楽曲提供のオーディションみたいな仕組みのこと)に提出する曲を十曲くらい作ったり、〝水中、それは苦しい〟さんとのツーマンライブの練習をしたり、相席スタート山添さんのユニットコントライブの練習をしたり、ゴールデンウィークに開催される劇団星乃企画の舞台の稽古にたくさんいったり、その舞台のテーマソングをつくったりしていた。あと、このにゃんぞぬな日々を続けていたおかげでいただいた文章の大仕事もした。(楽しみにしていてほしい。)これまでの私の生きるパワーでは四ヶ月くらいの時間を要することをこの一ヶ月で成し遂げているのだ。
がんばりたくて、がんばっているだけなのにひどすぎる。どうせならがんばろうと心の中では思っているけど、力が出ない時期になってくれ。でも、そんな時にギックリになったら、もう完全にやる気無くなるから、ギックリになるとするなら今が最適な時期なのだろうか。
ギックリのこと考えてたら、なんか首がもっと痛くなってきた。友達のこと考えてたら、偶然その子にばったり会うみたいなテレパシーが生じているのかもしれない。ギックリとテレパシーで通じ合う私、かっこいい。そういえば先週も、LINEでずっと恋バナを聞いている友達にばったり会った。しかも、「今日のデートで告白する!」と、報告をくれた当日で、待ち合わせ場所に向かう最中だったようだ。友達の表情はいつもと違って、プラスチックのように固かった。誰かに告白をしたあの日、きっと私もプラスチックだったんだろうなと思った。
しかし、ぎっくり首になって私は前しか向けなくなった。やはり、前に突進していくべきなのだろう。いや、ぎっくり首で前しか向けない状況と、心の前向きさを同列に出さないでくれ。
なお、友達のその後の恋模様は、歌にしてほしいと託されたので、しっかり遂行しようと思っている。
とにかく山添展と舞台が始まる前にギックリを治さなければ。
2024.03.22 羽
珍しく、ぐっすりと眠っていた。ぐっすりと眠っている中、ある夢を見た。それは、聴いたことのない歌を誰かが歌っている夢であった。かなりパワフルな声で、歌は上手くスーパーロックバンドのようだった。
これは、きっと自分が夢の中で作曲してる曲なんだろうなぁと客観的視点も交えながら、そのまま夢を見ていた。しかし、その歌声はどんどん大きくなっていき私は驚いて目を覚ましたのであった。
すると、不思議なことにその歌がまだ聴こえるのである。これは、現実に起こっていることが夢に侵入してきたパターンのやつだと理解した。
しかも、歌われるフレーズは夢で聞こえたものとずっと同じであり、何度も何度も繰り返されるのだ。
「だいじょうぶ、ぼくは君をわすれないギェェェ! 」と。
ギェェェ!の部分はシャウトで、ギェェェ!だけが繰り返されることもあった。
ぐっすりと眠っていた所を起こされるし、何度も何度も同じフレーズを聴かされるし、普通ならば腹が立ってくるところなのだが私は穏やかだった。
なぜなら、同業者だと思ったからだ。おそらく、オリジナル曲のデモ音源を自宅で作っているのだろう。大切なフレーズだから何回も納得いくまで録音しているのだろう。そして、時刻は十四時。いわゆる一般的な仕事をしている人には迷惑をかけない時間帯である。ちゃんと考慮しているすごい人ではないか・・・
腹が立つどころか感心した私はどこかでこの曲のフルが聴けないかと思い、歌詞を調べてみた。
「だいじょうぶ、ぼくは君をわすれない」
すると稲葉浩志さんの「羽」という曲の歌詞が出てきたのであった。でもまだ歌詞だけでは同じ曲かはわからないので、私は何だか良くないことをしているような気持ちでそっとYouTubeを開きMVを視聴した。
それは、紛れもなく同じ曲であった。B'z稲葉さんのソロ曲だ。また、驚くことに原曲にシャウトは登場しなかった。あれは、オリジナルシャウトだ。
そうなると話は180度変わってくる。許せない。私の快眠を妨げ、同じフレーズを数十回聞かされ、連発シャウト。シャウトって一度だけなら良いのだけど何回も連発されるとただただ怒鳴られてるような気持ちになるのだ。絶対に許せない。
しかし、私はあの日以来「羽」をよく聞いている。
もしかしたら、あれは本物の稲葉浩志さんなのかもしれない。その場合、オリジナル曲の練習ということになるので、許そうと思っている。
2024.02.22 もしもにゃんぞぬデシがパイロットだったなら
私は現在、人生で初めて海外に来ている。日本は島国だから日本以外の国のことを「海外」と言うことができる。「海外」という言葉は冒険感があって、なんだかうれしい気持ちである。私は今、冒険に出ているのだ。
国内でも飛行機には今まで三度くらいしか乗っておらず、今回は久しぶりであった。その中で私は人生で初めて、本当の意味で飛行機に携わる人々の凄さを感じた。
有名な職業は幼い頃から知っているが、そのすごさを理解するのは幼い頃ではなく大人になってからなのではないかと思うし、すごいのは有名な仕事だけではなくて全部すごいのだ。
なぜ、私が飛行機に携わる人々が初めてすごいと思ったかと言うと、頭の中で自分もなってみたのだ。
パイロットを一例に挙げる。
もしもにゃんぞぬデシがパイロットだったなら・・・
フライトの前日は緊張して眠れず、毎回徹夜のまま空を飛ぶことになる。制服の管理がちゃんと出来ず、家に何着も溜めてしまい頻繁に上司に怒られる。飛行機のキャパ(およそ三百席ほど)をライブハウスのキャパに換算して、満杯ライブハウスで見た大勢の人々を浮かべ、プレッシャーに押しつぶされる。上空で窓を開けたらどうなるんだろう?という好奇心から開けてしまう。操縦席にあるマイクを利用して、客席にずっと喋りながらフライトをしてしまう。
そういえば、十六歳の時に「パイロット」という曲をつくったことを今思い出した。その曲は、パイロットになりたかったが他の職業をしている主人公の曲である。
今日はパイロットになってみたが、私はよく頭の中で色んな職種になっている。その度に、頭を抱える。私には出来ないことが多すぎるのだ。そして、「みんな凄すぎる」という結末になるのだ。だから、もし職場などで怒られることがあっても、自分は何も出来ていないと思っていても、私からするとみんなめちゃくちゃ凄い。
日本に帰ってきたらみんなにお土産話をたくさん聞いてもらおうと思う。
2024.01.23 脳内アナウンサー
最近、自分の癖に気づいた。それは寝ようと目を瞑ると脳内アナウンサーが登場するのだ。自分自身の実況アナウンスが脳内で始まったり、番組の司会をはじめたりするのだ。このアナウンサーはバッチリと起きている時には登場しない。
どういうことかというと、例えば私が目を瞑ってからどこが寝やすい位置かを決めるため色んな寝相を試しているとする。すると、脳内で【にゃんぞぬデシ選手が仰向けになっています。おっと、しっくりこなかったのでしょうか!次はうつ伏せにフォーメーションを変えるようです。】と、いった自分の行動に全て実況アナウンスがついてしまうのだ。
また、ひとりごとにも対応してくれている。
シーチキンって何で勝手にチキンに例えられちゃってるんだろう?マグロは魚・チキンは肉であり、お互いに強豪である。そんなライバル間の中で、マグロよりチキンの方が優位であるようなネーミングをつけられてマグロは嫌なのではないだろうか?
マグロはきっと自分の尊厳を均等に保つために、チキンのことを「地上まぐろ」と呼ばないと気が済まないだろう。
【と、にゃんぞぬデシ選手は語っている。】こんな感じで、どんなひとりごとでも最終的に脳内アナウンサーが登場してくれるので、ぜんぜんまとまってない話もなんだかまとまった話をしている気持ちになる。
【寝る直前って、いつもやんわり不思議に思っていることが、次々思い出されて寝れなくなっちゃうこともありますよね】アナウンサーが言ったことに対して大きく頷くこともある。
これは、おそらくパラレルワールド的な世界線で誰かが聴いているラジオなのかもしれない。もし、この番組が聴こえていたらお便りを送ってほしい。 お便りのテーマは「昨日、羊何匹数えた?」メールアドレスはnyanzonu_suimin○neko.fmです。
2023.12.22 会話の著作権
私にはシンガーソングライターの友達が少ない。こう書くとシンガーソングライター以外の友達は多いみたいに聞こえるが決してそうではない。しかし、私自身、友達のこういった発言を耳にすると「友達が少ないってことは、自分は友達にカウントされてないのだろうか?」と、疑ってしまいワサワサする。なので、もし友達が読んでくれていたとしたらあなたは友達である。
なぜ、シンガーソングライターの友達が少ないかというと私が自ら心を閉ざしており、近付こうとしていないからだ。そこには、ちゃんとした理由もある。劣等感が強いため同じ活動をしている人が何らかの主題歌が決まったり、CMソングを担当したり、楽曲提供をしたり、リスナーさんの年間聴いたランキング第一位を本人がリツイートしていたりすると私のスマホは部屋の窓から飛び出し、イスタンブールにて猫の写真を撮る日々を送ってしまうのだ。その度に私はイスタンブールに出向き、スマホを迎えに行っている。そんな日々は結構大変であり、そうなる未来がわかっているので私は自らシンガーソングライターを遠ざけている。
そんな私が最近、シンガーソングライターの子と友達になった。その子に「同業者の友達があまりいない」という話をした。その中でいつもぼんやりとしていた一番の真実が初めてスラスラと口から出てきたのだった。
シンガーソングライター以外の友達と話している時、私は会話から感銘や刺激や想像の源をもらい曲が完成することがよくある。映画を観ている時もそれと同じような感じだ。
しかし、シンガーソングライターの友達と会話している際に曲が生まれそうになった場合「この会話の著作権どっち?」と、わけがわからないくらい考えてしまい曲にすることが出来なくなるのだ。シンガーソングライターの友達と映画を観たとしても、私の心は喋り出す。「この映画を観たことによって生まれた気持ちの著作権どっち?」と。
わかりやすく言うと探検家三人で山に行き、まだ誰も知らない石をみんなで「あー!あれは!」と、発見したとしたら「三人の中で一番最初に見つけた人誰だった?」となると思う。最初に見つけた発見者の名前がその石の名前になったりもするが、あれは発見者たちがジャンケンをして決めているのだろうか。私が探検家だった場合、絶対に一人で山に行く。
曲を作るために友達と会っているわけではなく、友達と会うと曲を生み出したい気持ちになるのに、シンガーソングライターの友達だとそこにストッパーがかかり、頭が爆発しそうになるのだ。
そんな私の変な話を聞いた友達は笑いながら「自分が認知したものは全部自分の著作権で良いんだよ〜」と、言ってくれたため心が救われたのだった。
『自分が認知したものは自分の著作権!』©️友達である。
2023.11.22 アルファベットでOTA!
突然の報告だが、私は東京都大田区に住んでいたことがある。報告と言えるほど、重要なことではないことを知っている。
先日、はじめて会った方と今までに住んだことのある町についての会話をしていた。私が「大田区に住んだことがある」と話したところ、その方は「大田区は大きいよね」と、言った。なので私は「そうなんです!大田区は二十三区の中で一番大きいんですよ!」と、得意げに伝えた。自分が住んだことのある町が一番大きいのは、なんだかうれしい。住んだことがある場所が多いほど嬉しくなれる回数がいっぱいになるのだと思う。
しかしその方は「大田区は一番大きい区じゃないよ!足立区とか葛飾区とか江東区とかもっと大きいところあるよ」と、自信満々に言ったのだった。
その時、私の頭の中では小学校の運動会で踊った懐かしいメロディが流れ出した。
【♫ 〜アルファベットでOTA! 二十三区で一番大きいぜ!】
ヒップホップグループ〝大田クルー〟の「大田区よいとこ一度はおいでチョイナチョイナ」という楽曲である。
私は思った。
大田区は絶対に二十三区で一番大きいはずなのに・・・ いや、まさか私が小学生から今日に至るまでの間に埋め立て地や島が発見された等の出来事があって他の区の方が大きくなったということなのか!?? でも、そんなニュース観てない!!!! やっぱり私は間違えていない!!!私は人一倍、大田区が大きいことを知っている!!!だって、【♫ 〜アルファベットでOTA! 二十三区区で一番大きいぜ!】に合わせてダンシングしたんだから!!!
こんなに頭の中で明確な答えが出たのにも関わらず、私はその人の発言に対して「ああ、そうなんですね・・・」と、言うことしかできなかったのだった。
私は正しい事実を言っているのに、それがまかり通らないことに直面することが多々あるのだ。まかり通らないし、私の気が弱いのかもしれない。
小学校の時も、私が〝クジラは哺乳類〟と伝えたのに自分自身に自信のある生徒Aに「何言ってるの?クジラは魚類だよ」と、押し通されてしまったこと。
「青春アミーゴ」のサビ頭を「SI」と歌っていたところ、自分自身に自信のある生徒Bに「そこ、シーじゃなくてフィーだよ」と、歌詞を変えられてしまったこと。
答えの無い国語や道徳とは違って、この類の話は、答えがちゃんとある算数のようなものだ。
そういう時こちら側にはただ、モヤモヤが残り、押し通した側はきっとスッキリとした気持ちになるのであろう。翌朝、太陽の温もりを感じながら目を覚ますのである。
私は眠れずに十年以上ぶりにYouTubeで大田クルーさんのMVを観た。すると、楽曲が大変グルービーであり、ポップであり、言うなればバチバチにイケていた。
当時は気づかなかったが、私はヒップホップの英才教育を受けていたことを知った。
2023.10.22 チョコの捜索
私には好きなクッキーがある。「チョコインクッキー」という名前で、某テーマパークで売られている缶状の商品だ。手でOKマークを作ると、ちょうど「O」部分がクッキーのサイズと同じくらいなので、私的にはOKマークはチョコインクッキーマークと言っても良い。見た目はバタークッキーに見えるのだが、その名の通り、中にチョコが入っている。
いままでテーマパークの現地でしか買えないと思っていたのだが、公式通販で購入できると知り、四缶注文した。一缶に二十個くらい入っているので、三ヶ月分くらいの気持ちで購入した。
数日ほどで待ちに待ったチョコインクッキーが届き、一つを大切に、一口で食べれるサイズのクッキーなのに、四等分にして食べていた。そんな、ある日事件は起こった。二口目をかじっても中からチョコが出てこないのだ。いつもなら二口目でチョコに辿り着くのに。そして、四口目までチョコが現れることはなかった。
普通のクッキーにチョコが入っていない状態は、ただひたすらに「クッキー」だ。しかし、「チョコインクッキー」にチョコが入っていない状態は、「チョコアウトクッキー」になってしまっているのだ。
すなはち、チョコは脱走したのだ。
おそらく、消えたチョコはクッキーの中に閉じ込められる日々から逃げ出したかったのだと思った。それからというもの、私は捜索活動に勤しんだ。アルフォート、パイの実、板チョコ・・・と、さまざまなお菓子から彼の手がかりを得ようとした。
そして、ついに昨夜24時50分、私は彼を発見したのだ。変わり果てた彼は、アーモンドチョコとなっていた。今度は、自分自身がピーナッツを閉じ込める側となっていたのだった。チョコインクッキーのチョコはチョコとしての自由を手にしただけではダメだった。自分を閉じ込めてきたチョコインクッキーのクッキーと同じ様に何者かを閉じ込めなければならなかった。私は彼をクッキーの中に引き戻すことをやめた。
「それが本当に手にしたかった自由だった?」と、だけ尋ね、そのアーモンドチョコを食べた。
私の口の中から聞き取れない声が聞こえてくるのだった。
2023.09.22 ビッくらポン!事件
先日、久しぶりにくら寿司へ行った。久しぶりと言っても三ヶ月ぶりくらいだ。三ヶ月行かないだけで「久しぶり」と、言える程私は回転寿司によく行っている。一皿の値段が百円から六百円くらいの幅がある回転寿司や、回転していないお寿司も良いがだいたいは百円前後のチェーン店の回転寿司が好きなのだ。値段に差があると、自分の食べたいネタの値段を調べて「安い!」や「高い!」などと心が揺さぶられる。そんな時間はお寿司を食べるのには要らないのだ。私が欲しいのはたったひとつ、大量のワサビだ。
久しぶりに行ったくら寿司は、注文パネルの機種が以前と少し変わっており少し戸惑った。
くら寿司には食べたお皿の数だけ五枚で一回ガチャガチャを回せる、びっくらポンという楽しいシステムがあるのだが、私はそれも楽しみにしている。注文を開始する前、注文パネルにびっくらポンをやりますか?と、質問されるのだが即答でYES!絶対にYES!ABSOLUTELY YES!だ。
しかし、びっくらポンはそこまで甘くない。いつもだいたい。十五枚以上入れないと当たらない。だからひとりで行った時は当たる確率はゼロだと思っている。私は即座に五皿を平らげ、びっくらポンを回した。すると、なんと一回目で当たったのだ。ポケモンのクリップが当たった。ポケモンは詳しくないが、猫のようなキャラクターでとてもかわいかった。私はいつもの当選確率を知っているので、運が良いことに舞い上がった。うれしくなり、あまり頼まない茶碗蒸しまで食べてしまった。お腹いっぱいになり、温かいお茶を飲み、使ったワサビの袋たちをおしぼりが入っていた袋にまとめて私は席を立った。
セルフレジで精算を済ませるタイプのお店であった。私が機械の前でお金を払おうとしたところ、エラーが発生したので、店員さんを呼んだ。すると、店員さんも対応したことのない機械のエラーだったらしく、その店員さんもまた店員さんを呼び二人がかりで機械に向き合っていた。もう、手作業でやるしかないらしく、私が注文したネタが一つ一つずつ打ち込まれていくのだが何度もうまく行かず合計五回くらい同じ作業を繰り返していた。私は途中で気づく。「ビッくらポン!プラス」という謎の商品が毎回追加されていることに。
私が聴いているラジオ、ハライチのターンで以前、「ビッくらポン!プラス」の話をしていたことを思い出し全てを理解した。食べた一皿が毎回プラス十円されるが、ビッくらポン!の当たる確率が上がるというシステムと言っていた。私はそれを聴いていた時、これやる人はビッくらポン!プラスガチ勢すぎる笑笑笑と、思った。
どうやら私は席で注文パネルをよく見ておらずビッくらポン!プラスの設定にしていたようだ。だから、一回目のビッくらポン!で、当たったのか。運が良いわけではなく金を積んでいただけだったのか。
店員さんに食べたネタを打ち込まれるよりも、ビッくらポン!プラスを何度も打ち込まれていることの方がよっぽど恥ずかしい。私は平然な表情をしているただの人間でしかないのに、店員さんには絶対にビッくらポン!が欲しいと思って来店した人という認識になってしまっている。しかも、何度も打ち込むから脳裏にこびりついてしまっているのではないだろうか。
十分くらいの時間をかけて、やっと機会が直りお会計は完了したが、店員さんたち同士での私のあだ名はビッくらポン!プラスになっていると思う。
最後に私が注文したネタを記しておく。
生エビ、イクラ、山かけ、はまち、サーモン、エンガワ、茶碗蒸し、ビッくらポン!プラス
2023.08.22 お菓子へと続くシルクロード
土曜の昼下がり、私は古着屋さんに立ち寄った。
店内では、小6と小2くらいの女の子を連れた家族と私が買い物をしていた。お父さんは自分の服は見ずに、ずっとお母さんに似合いそうな服を探していた。何か良さそうな服を見つけるたびに、「これどう?」「これどう?」「これどう?」と、聞いていた。3回書いたのは、お母さんはいつも3回目でやっと反応していたからだ。反応しても「あぁそう」といった心ここに在らずの相槌ばかりだった。それほど、お母さんは自分の服を選ぶのに熱中していたのだ。私は服を選ぶ振りをして、背を向けながら繰り広げられていく会話劇の観客になることを決意した。
そんな中、お父さんは屈指の一枚を発見したのであった。「ねぇ、これ見て!」「ねぇ、これ着て欲しいんだけど。」「似合うと思うんだけど」と、お父さんは3回言い放った。今までは、「これどう?」と、いう声かけだけだったのに、今回は自分の意思がハッキリと言葉に表れている。
ようやくお母さんは反応し、一言だけ放った。「えぇぇそんな服どういう気持ちで着れば良いのか分からない!」と。
少し姿勢が悪くなったお父さんは「シルクロードみたいで良いのになぁ」と、ひとりごとを言いながら棚に洋服を戻した。
私はその服がどんな服なのか気になりすぎたため、洋服を探すかのごとく確かめた。すると、麻のような素材に太陽と砂漠と馬が描かれており、たしかにそれはシルクロードのようであった。私からするとシルクロードという例えがあまりにもしっくり来ており、尚且つ秀逸なセンスであると感じ笑をこぼしそうになってしまった。そして、同情した。見ず知らずの人に。
いや、お父さんの秀逸なセンスは人間として強い武器になるはずなのに、お母さんはそこには目もくれず武器じゃない部分が好きなんだろうなと、勝手に考察し、「それこそが真の愛だな」などと思ったりしていた。
そして、お父さんはシルクロードを着てもらえなかったことにショックを受けてしまったのか、先に車に戻ることにしたらしい。小2くらいの子が「お菓子食べたい!」と、言いながらお父さんに着いて行くと、お父さんは一人じゃなくなったことに喜びを感じているかのように、「お菓子なんでも買って良いよ!」と、笑っていた。お菓子へと続くシルクロードへ二人の背中は小さくなっていったのであった。
その後、お母さんは自分の買い物を終え、小6くらいの子の服を選び始めていた。お母さんが「これどう?」と、聞くたびに「絶対に着ない!」と、言われていた。
2023.07.22 カブや大根の仲間
私は最近、筋トレにハマっておりまして寝る前に最大限に足と手をバタつかせるオリジナル運動などをやっているのです。その効果もあり、腹筋と腕の筋肉がモリモリ育ってきている雰囲気を感じます。とは、言っても私はもともと散歩が好きだったり、無駄な動きが多かったり、小学生から高校生までずっとリレーの選手を務めていたり、マッスル系の人間なのです。しかし、私は顔の構造的は「角」を一切感じない「丸」で出来上がっているため運動が好きだということを言うと驚かれることが多かったのです。その度に、顔以外はマッスルなのに…と、思い腕の力こぶを見せそうな気持ちになっていました。
今回、筋トレにハマっていく上でそれならば顔に「角」要素をもたらす筋トレをやろうじゃ無いかと思い立ち、私は顔に効果があると巷で囁かれている背筋を始めたのです。毎日五十回以上やると決め、数週間が経ったところで鏡を見ると、明らかに顔ではなく背筋のみにゴリゴリの筋肉がついていたのです。背筋があれだけ顔に効果があるという、ビフォーアフター画像をたくさん見てきたのに、私はただ逆三角形のマッチョになりました。
そこで、気付いたのです。私は、カブや大根の仲間なのだと。カブや大根は緑の葉っぱと本体で出来上がっています。葉っぱと本体は香りだけは若干似ているものの色も形も味も異なっているのです。つまり、腕・背中・腹・脚のマッチョが全く反映されない私の顔は葉っぱということなのです。私はスーパーでカブや大根を買う時、葉っぱがいっぱいついているものを選ぶのですが、みんなはどうですか?あの葉っぱのお浸しとか、スープに入れるやつとかすごい好きなんですよね。一つの野菜で二つの野菜が楽しめてるみたいなところも、なんかうれしいです。自分が好きなものは、少し自分に似ている部分があるから惹かれるものだと思うのですが、私自身に似ていたから好きだったんだなと分かりました。カブや大根の仲間だと思って生きていくことに決めました。スーパーで買う時は、ぜひ葉っぱが多いものを選んであげてください。
2023.06.22 初めてのポップコーン
低気圧。それは、私の最大の天敵である。昼過ぎに目覚めると、外には雨が降っていた。雨の強弱を表す言葉は、小雨・大雨とあるが、中くらいならば中雨というのだろうか。雨がスタバのドリンクならば、ショートレイン・トールレイン・グランデレインという表記になるのだろうか。その日は、ド真ん中の雨だった。少し遠出する用事があったが、低気圧のせいで身体も頭も重かったため、行くのをやめた。しかし、家にいる心すらも低気圧に蝕まれる。
気付くと私は、映画館に駆け込んでいた。そこは、高校生の時からよく行っている映画館だった。学校の帰り道の映画館、学校をサボって行った映画館、なぜか走馬灯のようによみがえってきた。すると、気づいたことがあった。映画館に行っていた日は、いつも雨が降っていたのだ。私は昔から低気圧から身を潜める最大の隠れ場所として、映画館を選んでいたのだった。これが動物の本能というものかもしれない。
今回、観に行ったのは新作が出るたびに必ず観ている是枝裕和監督の「怪物」という映画である。ちなみに、私は是枝監督の「空気人形」という映画を初めて観た日、夜中から朝まで長い時間をかけて涙を使い果たした。涙が溜まっている時に、ぜひ観てほしい。
映画館でポップコーンを食べる習慣はないのだが、この日は無性にポップコーンが食べたくなり初めて食べることにした。S・M・Lというサイズがある中で私はMを選んだ。雨に合わせて、ド真ん中がちょうど良さそうだと思った。しかし、店員さんから差し出されたポップコーンはどうみてもLLサイズであった。お風呂に置いてあるバケツくらいデカかった。ポップコーンと一緒にアメーバのような変な形のトレーをもらった。
席に着き、このデカいトレーをどこに置けばいいのか躊躇していると、なんと、トレーは椅子にはめられるようになっているのである。動かせるテーブルみたいになるのだ。私はこのアメーバのようなトレーを開発した人にノーベル賞をあげるべきなのではないかと思った。
上映が開始された。ポップコーンはいくら食べても食べても減ることは無い。私はキャラメルポップコーンを注文したが30粒に1粒くらいの割合で塩味が混ざりこんでいることに気づいた。甘いものを食べているのに急に塩がくると、複雑な気持ちになる。しかし、もしこれが逆だったら。塩味30粒にキャラメル味が1粒登場したら、かなり嬉しい気持ちになるのではないか?と、閃いたのだ!上映されている映画について考えながら、並行してそんなことも考えていた。
映画が終わってもポップコーンが残っていた。映画館から駅に向かう途中、ポップコーンが雨で濡れないように必死に守った。傘も持っていなかった。
何かを守る気持ちは、いつでも必死だ。
2023.05.22 忍者とパイロット
もうこんな遅い時間になってしまった。この時間帯になってくると、どこの店の窓も閉められてしまう。彷徨うこと早三十分、ようやく入れる店を見つけた。やっと夜ご飯にありつけると、腰を下ろした時だった。
「わ!!すみません!!!」自分のお尻と誰かのお尻がぶつかった。なんと、同じ時間に同じタイミングで同じ場所に座ろうとしている者がいたのだった。少し下に目をやると、そこには一匹のダニがいた。目が合うとダニは「お怪我はないですか?」と、申し訳なさそうに私に聞いた。
いや、私の方がダニの何倍もデカいのだから、「お怪我は無いですか?」は、私が先に言うべきだった。
「ぜんぜん大丈夫です!逆にお食事の邪魔をしてしまったようで申し訳ないです。」私は慌てて早口で伝えたところ、ダニは思いもよらぬ提案をしてきた。「逆にお食事ご一緒しても良いですか?」と。こんな機会も滅多に無いので私は二つ返事で返した。
お互いに何と呼び合うかの話になって、初々しくて気恥ずかしい。本当はダニーみたいなあだ名で呼びたい気持ちもあるが、馴れ馴れしいと思われても嫌なので「だにさん」と呼ぶことにした。だにさんは私のことを「蚊蚊蚊」と呼ぶことにしたらしい。蚊蚊蚊と呼ばれるならダニーにしても良いかなと思い、「やっぱりダニーにするね。」などと話して、たらふく夜ご飯を食べた。お腹がいっぱいになって、羽の手入れをしていると、ダニーが寂しそうな声で話しはじめた。
「蚊蚊蚊にはさ、羽があってどこにでも行けるでしょ?だからちょっと羨ましいな。」
「まぁどこにでも行けるけど、部屋に入るとすぐ人間に見つかっちゃうから。ほら、自分って結構デカいし、飛んでるとブンブン音鳴っちゃうし!それに比べたらダニーは見つからないから忍者みたいでかっこいいよ!」
「忍者か!思ったことなかった!たしかに、いる場所もすみっこだし自分って忍者の才能あるかも。」
ダニーが少し笑ってくれてよかったと思った。
「でも、一生に一回で良いから外の世界に行ってみたいんだよね」
「良い考え思いついたんだけどさ、私の背中に乗って行かない?でもね、私は人間に見つかりやすいからココにいた方が安全なことは確か。危険な旅でも良い?」
私が背中を向けるとダニーはしっかりと私の背中にしがみついた。
「自分は忍者だから、蚊蚊蚊のこと背中からしっかり守るから!」
そうして、眠っている彼女の左足から蚊蚊蚊とダニーは夜空へ飛んで行ったのだった。
2023.04.22 人生は一度きりらしい
最近、人生は一度きりらしいので、ワクワクを感じたことは全部やっていきたいと、思った。というか、前からそう思っていたことを最近、自覚した。
人生は一度きりと、誰かが言っていても人生が一度きりだとあまり感じたことがない。だから、人生は一度きり〝らしい〟だ。
あと、もうひとつ最近気付いたことがあった。音楽活動をやっていく上で自分で雰囲気を決めて、アーティスト像をプロデュースすることが私には向いていないということだ。
アーティストによってオシャレな雰囲気、ダークな雰囲気、ギラギラしてる雰囲気とか色々あるけど、その人たちがいつもそんな雰囲気な訳がない。虫がいたらびっくりすると思うし、猫を見たらデレデレすると思うし、人にはいろんな面があることが普通なのに、アーティストとか表に出る人になると、雰囲気を統一しないとならないとされているのが、よくわからない。よくわからなすぎる。表に出るキャラを作っている人がストイックとか言われてるのも謎で、その方が大人サイドがパッケージしやすいからそう言う風潮なんじゃないかとか思っている。あと、アーティストじゃない側の人たちを〝大人〟って言うのかも謎だ。〝大人〟と、いうワードを思い浮かべると漫画で書かれた5人くらいに黒い影が付いてる絵が出てくるんだけど、私だけ?
今まで、私はどういう雰囲気のアーティスト像でいれば良いか悩んだこともあったが、もう、つくらずに、自分のままでいこうと思った。
私は5月5日〜5月7日に初舞台に出ることになった。下北沢711というところで毎日、2ステージずつだ。毎日くらい稽古をしているので、ぜひ遊びに来ていただきたい。劇中の歌唱と主題歌も担当するのだが、まだ主題歌は完成していない。そして、今は、とても眠い。眠いので、最近の発見をつらつらと書いてしまった。最後に今年度の目標を発表する。
その一、初海外に行く。
その二、本当に大嫌いなパソコンと向き合う。
その三、コマーシャルソングをつくる。
人生は一度きりらしいので、がんばりたい。
2023.03.22 ブラッシュアップライフ
私はこの冬、ブラッシュアップライフというドラマにハマっていた。とってもざっくりと言うと、主人公が人間に生まれ変われるようになるまで何度も人生をやり直すというお話である。このドラマの中でとても心に残ったセリフがあった。どの動物も前世と同じ生き物として来世を生きることを希望するというような内容であった。人間はまた人間に、猫はまた猫に、魚はまた魚に生まれ変わりたいと思っているというのだ。今までそんな考えをしたことがなかったが、言われてみればとてもなるほど!と、思った。猫が猫に生まれ変わりたいと思うのはなんか、めちゃくちゃかわいい。かわいすぎると思った。
生まれ変わり系だと私はよく思うことがある。飼っていた猫のにゃんぞうに似てる子を街角で見かけると「にゃんぞうの生まれ変わりかもしれない」と、一瞬頭をよぎったりするが、この子はこの子の人生を送っているのだから勝手に違う誰かの人生を重ね合わせるのはこの子に失礼だし、精一杯生きたにゃんぞうにも失礼なのではないか?というところに着地する。
話は変わるがブラッシュアップライフを観ていたら、自分の前世はどんな人生だったのだろう?と、気になってきた。前世が本当にあるのかは誰にもわからないが、私には昔からなぜか前世を感じる曲があるのだ。それは松任谷由実さんの「Hello, my friend」である。この楽曲のイントロが流れた瞬間に心臓のど真ん中が前世!!!と、叫び出すのである。これは、本当に前世なのではないかと思い、リリース年を調べてみたところなんと一九九四年七月二十七日なのだ。私は一九九八年八月四日生まれなので、これはまさに前世でヘビロテしていたとしてもおかしくない時間軸なのである。
この曲をはじめて聴いた一九九四年の夏、私は六十二歳であった。ラジオからこの曲が流れてきた途端、遠い昔に引き戻された。あの頃私はまだ十二歳であった。十二歳というと子供に思うかもしれないが、みんなが思うよりも子供ではなかった。私は夏の間だけ親戚の家に預けられた。海辺の街であった。私がよく行く砂浜の近くにあの人は住んでいた。砂浜で私が山をつくっていると、あの人は周りに貝殻を並べにやってきた。それから、毎日のように二人で街を探検した。夏が終わる頃には地元に帰るのが嫌になっていた。また、遊びに来ると約束した。数年後びっくりさせようと突然街を訪ねたが、あの人の家は空き家になっていたのだった。「Hello, my friend」を聴くたびにそんな日々が蘇った。
そして、私は寿命を全うし、今世で、にゃんぞぬデシとなったのである。
2023.02.22 高校の時の話です。
私はこの春、大学を卒業する。成績が出るまで卒業できるかかなり不安だったが、なんとフル単だった。卒業論文はSだった。自分はがんばったらしい。しかし、がんばったというという感覚がよくわからない。だから普段、達成感をあまり感じることもなく、ずっとモヤフワァ〜という感じで生きているように思う。
そして、先日私は出身中高の授業に特別講師として遊びに行く機会があった。音楽や短歌や川柳に触れる授業で、音楽活動について話した。先生と会話をしながら授業をしたが、教壇に二人、ラジオブースみたいで良いなと思った。久しぶりに学校に行ったら、私の高校の時を思い出したので、書こうと思う。
私は高校二年生くらいの時から、太ももにあるホクロから伸びている毛をたまに伸ばしている。これは、ふざけているわけではない。断髪式をやるような気持ちだ。伸びた毛をカットする時、私の中で生活の一区切りをつけているのだ。断髪するためには切る髪が必要なのだ。だからホクロから伸びる毛も必要なのである。
私は中高一貫校のいわゆる進学校に通っており、高校一年生までは勉強ができた。しかし、高校二年生になり、文系理系に別れた途端に勉強が完全に分からなくなった。薬剤師になりたかったため理系に進んだが、文理別れた後はそれまでの教科とは別物のように感じられた。今まで理解できていた授業も、先生が急に他の言語を話しているのではないかとすら思った。わからないものはわからないので、必要教科の多い薬剤師を私は諦めた。(最終的に看護学部と芸術学部に合格したためギリギリまでどちらの道を選ぶか迷ったが芸術学部に進学した。)
私は中学二年生の時からギターで曲を作っていた。そして、高校二年生でライブ活動を始めた。勉強がわからなくなってから、勉強していた時間でいっぱい曲をつくった。学校のシステムでは、一度理系を選んでしまったら、卒業まで文系に変更することはできなかった。何を言っているかわからない授業に出席しても時間が無駄だと思い、家で寝たり、電車でどこかへ行ったり、映画を観たりしていた。卒業するための出席日数はギリギリだった。今の自分ならばそんなクズなことはせず、わからない授業でもちゃんと出席し、机で歌詞を書いていると思う。
いくら学校をサボっていても、学期末のテストは毎回受けなければいけなかった。筆記のテストの他に体育の成績を決める簡易試験があった。私は体育の実技試験の日に休んだため、他の日の昼休みに先生とマンツーマンで試験を受けることになった。
私は制服から体操服に着替えて、体育館に向かった。先生はボールをバウンドさせながら待っていた。先生になってからまだ間もない、松田という女性の先生であった。松田先生からすれば、私はほとんど毎週授業にいない謎な生徒であったと思う。だからなのか、二人きりの空間は気まずいものであった。私はこれから実技試験ということもあり、自分の緊張を解くためにも、この空気を温めなければならないと思った。
そして、焦った私は咄嗟に体操服の半ズボンからチラついているホクロを指差した。
「このホクロから生えてるこの毛、伸ばしてるんです。」二人の間の空気が凍った。
下校中も家に帰っても私の氷は溶け切っていなかった。背中らへんの氷だったと思う。ヒヤリとしていた。
その夜、私はその毛を抜いた。
先日の特別講師をした際、廊下で松田先生にすれ違ったが、声はかけられなかった。溶けていない氷がまだありそうだ。
2023.01.22 目覚まし時計の目覚まし
ワタシは目覚まし時計だ。目覚まし時計の仕事は担当制である。ワタシが担当しているあの人は、かなり不規則な時間に寝たり起きたりしている。ワタシは普段、1秒単位で生活しているので、あの人のことは到底理解できない。
あの人が不規則な時間に生活しているせいでワタシも不規則な生活を送らなければいけなくなっている。目覚まし時計のワタシだって、目覚まし時計を使っている。正式に言えば、夜中庭に遊びにくる猫に起こしてもらっているので、目覚まし猫だ。起こしてくれる代わりに、ワタシは猫にちゅーるをあげている。これで、取り引きが成立しているのだ。猫にも使っている目覚ましがあるらしいが、基本的に夜行性なため、このバイトはちょうど良いらしい。
夜中、あの人が眠った後に、あの人がセットした時間を猫に伝えるのだ。そして、翌日猫が起こしに来る。そういうシステムだ。あの人は目覚ましを何度も何度も止め直し、もう起きないかと思ったところで飛び起き、10分も掛からぬスピードでこの家から出ていく。ワタシはそのあとに猫にちゅーるをあげる。もちろん、ちゅーるをあげるだけではなく、猫にその日あった話や、恋バナなどを聞いたりする。
ある朝、猫は起こしに来なかった。ワタシは起きれらなかったが、あの人は「なんで目覚まし鳴らなかったの???」「わけわからない」「いや、自分が寝ぼけてて目覚まし時計かけ忘れたのか??」「まぁいいや」などとグチグチひとりごとを言いながら、どっかへ出掛けて行った。
ワタシは猫が起こしに来なかったことを心配に思ったまま、夕陽の時間になった。カーテンが全開の誰もいない部屋がオレンジ色になっていた。するとそこへ、猫が走ってやってきた。何かあったのかと聞くと、来週ネズミ取りの資格試験があり、その勉強をしていたら時間を忘れてしまったらしい。ワタシは試験が終わるまで、起こしに来なくていいと言った。勉強中の夜食でもあった方がいいと思い、1週間分のちゅーるをあげた。しかし、猫は食いしん坊だから2日ほどで食べ切るだろう。
猫と話せない1週間は退屈であった。そして、ワタシは猫の代わりに1週間の間、スズメに起こしてもらうことにした。起こしに来てくれるお礼におにぎりをあげた。スズメはいつも群れで行動しているらしく、群れを抜け出してひとりでここへ来るのは大変そうだった。1週間が経ち、スズメは「気が向いたらまた来るけど当分はもう良いかな。」と、冷たいことを言い群れの元へ飛んでいった。
そして、猫がやってきた。どうやらネズミ取り試験は無事、合格したらしい。猫は記念にプレゼントすると、ネズミを咥えてきた。資格を取ってから最初に捕まえたネズミらしい。しかしワタシは、「気持ちは嬉しいけど、ネズミはかわいそうだから、プレゼントをくれるなら落ちている花とかが良いかな」と、伝えた。翌日から猫は起こしに来るたびに花を持ってくるようになった。庭はキレイなお花畑になった。あの人は、「勝手に花畑が出来た!」と喜んでいる。猫が管理してる庭なのに。
2022.12.22
ミニアルバム「TOY BOX」
セルフライナーノーツ
この度、「TOY BOX」というミニアルバムをリリースすることになりました。今回は作詞作曲だけでなく、はじめてジャケットデザイン、編曲までを自分で行いました。私の好きが自動的に詰まった作品となっているので、ぜひ聴いて欲しいです。これが好きだと思ってくださった方は、好きが同じということなので友達だったら超仲良しになれると思っています。
さっそくですが、一曲目の「追熟するオレンジジュース」から解説させていただこうと思います。これは、1リットルの紙パックのオレンジジュースを飲んでいると、飲み始めた時よりも数日間経過し残りが少なくなって来た残りの方が甘くなっていることに気付いてつくった曲です。
二曲目の「ハッピーアワー」は4年前くらいの冬に友達とファミレスに行った時の話を歌にしました。友達が嫌な上司のことを本当に辛そうに話しながら、メニューの上で手遊びをしていたんです。少し話を聞いてから、手遊びの方に目をやるとその友達は無意識に、メニューに書かれているハッピーアワーのハッピー部分を永遠に指で囲んでいました。友達はハッピーになりたい気持ちが無意識にそうさせたんだと言い、一緒に大爆笑した時の歌です。
三曲目は「はじめてもらったネックレス」中学の時から仲の良い友達が彼女に誕生日プレゼントを買っていたのに、誕生日直前に別れることになってしまい、売るのも虚しいからと言うことで、私にまわってきました。プレゼントが2つあったらしく、もうひとりの仲の良い友達と一緒に貰いに行って楽しかった時の曲です。
四曲目は「泣かないでって何?」もう既に泣いているのにも関わらず、「泣かないで」という発言って本当におかしいって思っているんです。そんなことを歌にしました。相手を傷つけたという事実が目に見えて分かってしまう現象が涙です。傷つけたことを受け入れたくないから「泣かないで」と、言っているんだと思います。泣かないでの5文字を言う暇があったら、ごめんの3文字言えば良いですよね。悲し涙じゃなくて嬉し涙を流したいですよね!
最後の五曲目の「鍋焼き」は味噌のCMソングで書き下ろしました。私はなめことワカメと豆腐の味噌汁が好きなんですけど、今回は最近発見した美味しい味噌汁の食べ方を歌にさせていただきました。味噌汁に卵を割って、うどん無し鍋焼きうどんみたいにして食べるのがとっても美味しいんです。時間がない朝だって一杯で大満足!さすがにふざけすぎかなぁと思って先方に提出したところ、なぜか好評であんなCMになりました。テレビで流れてたら報告してね。
ちなみに、アルバムタイトルは子供が遊ぶおもちゃが、私には一番楽しいんだということに最近気づいたのが由来です。
ということで、セルフライナーノーツどうでしたか? 聴きたくなってくれましたか? リリース日は一ヶ月後の2022年13月22日です。ぜひゲットしてください。
最後に、2022年もありがとうございました。こんなアルバムが本当に出せるように2023年は編曲も自分で出来るように頑張ります。来年も仲良くしてね。
2022.11.22 徒歩旅行部
私は今、大学生だ。休学を2年間していたため、まだ卒業していないのだ。留年ではなく、休学。私の性が原因なのかもしれないが、休学と言っているのに留年と履き違えられることがたまにある。卒論を書く手を私が止めなければ、来年の春には卒業できるのだ。
受けている授業は、対面の授業だったりオンラインの授業だったり、対面とオンラインを同時に行うハイブリッド型だったりする。
数週間前、いつもはオンラインで受けているハイブリッド型の授業に対面で行くことにした。一限なので、九時からはじまる。私の辞書に九時という文字は載っていない。朝という説明欄には、かすれた薄い文字で十一時と記されている。
そんな私にとって一桁台に起きるのは容易ではない。目覚ましのアラームが鳴ってから満員電車に乗り込み教室に行くまで、何らかの競技だと思う。モーニングローリングという競技名はどうだろうか?どうせなら、大会とか開いてオリンピックの種目にしてほしい。
やっとの思いで学校の最寄り駅に到着すると、いつもと様子が違った。生徒であろう人たちの顔色が明るめ・緊張感がない・楽しそう・いつもより人が多いなどの特徴が挙げられた。嫌な予感がした。学校に到着したとき目の前に広がっていたのはいくつものテントやダンスを練習する集団×3だった。
これは、完全に学園祭の準備日で全ての授業が休みの日であった。
オリンピックの新種目、モーニングローリングで疲弊した身体を休ませるため、誰もいない灯りのついていない食堂の窓際に腰をかけた。食堂は中庭の真隣にあり、横を向けばたくさんの学生がサークル毎のテントを張ったり、ダンス練習を繰り広げる光景をじっくりと見ることができた。そして、私はじっくりと見てしまったのだった。同じ階にいるのに、仲間と青春の1ページをめくっている最中の人々と、広い学食に突っ伏す私がお互いに知らない景色を見ていた。
私は誰かに止められたわけでもないのに、自ら進んでサークルや学校行事などには関与せず過ごしてきたのだなぁと思い、渋めの気持ちになった。見なければ何も思わないことも、目の前に現れると思いが生まれてしまうことはたくさんあるなと思った。
じっくりと眺めていた窓の外に、とても気になる団体のテントを発見した。「徒歩旅行部」という札が貼ってあった。これは、気になりすぎるとワクワクしたが、部員の皆様も半年間だけ今まで会ったことないヤツと徒歩で旅行するのは気を遣ってしまうだろうと思った。そして、道で猫を発見したりなんかしたら、部員のみんなを待たせてしまった挙げ句、置いてかれるはずだ。そもそも私も人見知りが解放されるまで1年以上かかるので、残された大学生活の半年では時がすでに遅かった。
だから、徒歩猫旅行部を立ち上げたいと思った。徒歩猫旅行部・部長にゃんぞぬデシ。部員募集中です。
2022.10.22 君は変わった
私には落ち着きがない。「落ち着きがない」というと、頑張れば落ち着いていられるのではないかと希望も湧いてくるのだが、そもそもじっとしていられない。椅子に座っている時も、じっとしていると関節がすぐに痛くなって、ムズムズしてしまう。でも、体育座りは得意な方なので会議中などにムズムズとしてきてしまった時はみんなの目を盗み、靴を脱ぎ、椅子の上で体育座りをしている。おそらくバレている。
美容院でお願いされた角度でじっとしなければいけない時はツラい。あの時間が私にとっては最大の天敵だ。美容師さんがドライヤー等を取りに行った時を見計らい、一瞬立ち上がって足を伸ばしている。美容院の中の掛け時計を探すフリをして立ち上がると良い。ドライヤーなどをしてもらっている時も座りながら無意識に揺れてしまっているらしく、「すみません。長くて疲れますよね。」と、謝られる。とても申し訳ない気持ちになる。「疲れても疲れてなくてもずっと揺れているので、美容師さんのせいじゃないんです。」と、言うと謎を残したを愛想笑いをされる。
ホテルのコンシェルジュさんはすごい。どこのホテルの前を通ってもみんな美しい姿勢で直立している。私がコンシェルジュさんになったら、高速道路からでも揺れているコンシェルジュがいると解る。
先日、ショーウィンドウが軒を連ねる通りを歩いていたらファッションショーごっこに火がついた。ファッションショーの歩き方の真似をする遊びである。優雅な心で姿勢を良くするだけでお金持ちになった気がして、携帯を見る時も優しく目を細めた。止まっていると揺れてしまうが、歩いている時は優雅に歩けることに気づいたのだ。
布施明さんの『君は薔薇より美しい』という曲に【ああ 君は変った】という歌詞がある。もしかして、あの曲の主人公の変わった点というのは、姿勢が良くなったことという説が浮かび上がった。私も落ち着いて姿勢を良くすれば久しぶりの待ち合わせをした友達は皆、歌い出してくれるかもしれない。ああ 君は変わった〜
2022.09.22 POP STAR
小学校低学年の頃「危険なアネキ」という連続ドラマを観ていた。調べてみると放送していたのが2005年だったので、小学2年生の時だったことがわかった。十七年前のことだ。ドラマは、平井堅さんの『POP STAR』が主題歌であったが、私はその曲が当時も今も大好きである。鼻歌で歌う楽曲ランキングでは、トップ10にランクインしているのでは無いかと予想している。
数日前、いつものように鼻歌で『POP STAR』を歌っていると、何故か急に小学2年生の時のある瞬間を鮮明に思い出した。給食を食べ終わった後のお昼休みだった。ちなみに、給食のメニューまでは思い出せなかったが、給食に付いてくる牛乳は冷たい方が美味しいから、「いただきます」をしたらまず先に牛乳をガブ飲みした方が良いということには、小学5年生くらいで気づいた。
友達2人くらいでジャングルジムに登っていた。登り続けていたわけではなく、黄昏ていたという言い方の方が合っていた。7歳でも黄昏れることに驚いた。
私はジャングルジムの中間くらいの高さに腰掛け、『POP STAR』をAメロからサビまでワンコーラスフルで歌ったのだった。校庭を走り回る子どもたちを眺めながら。すると、一緒にいた友達が「フルで歌詞覚えてるの、すごー」と、気の抜けた感じで褒めてくれたのだった。友達は地面に立っており、ジャングルジムの中央にすっぽりハマっているような感じだった。
当時は、YouTubeもスマホも身近になかったため、私はリアルタイムで放送している途中のドラマのエンディングだけで、ワンコーラスを覚えたということになる。そのくらい好きな曲の鼻歌をちゃんと聞いて、さらに褒めてくれたことがとても嬉しかった。
思い出した出来事を友達に報告したところ、なんと友達も覚えていた。「ジャングルジムで熱唱していて、不思議な光景だった。変な人だと思った。」と、言っていた。まさか、変な人だと思われていたなんて十七年越しに新たな事実が発覚した。
『POP STAR』が大好きな理由の中には、どうやらジャングルジムで友達が褒めてくれたことも入っているのだと気づいた。
2022.08.22 新たな指揮者
私は今、牧場に来ている。目の前には牛がいっぱい広がっている。白黒の子、茶色い子、真っ黒な子、とさまざまな模様をしている子がいた。真っ黒な牛の子を見ていて気付いたが、牛の顔は犬に似ている。尖った鼻と口、つぶらで優しい瞳、横からちょこんと生えている耳、まるで黒いゴールデンレトリバーのようだった。牛のアイデンティティは白黒模様の要素が大きいが、あの白黒模様が無いと超巨大犬になるのだと知った。
実物の牛は、私が頭で描いているよりも縦にも横にも2倍大きかった。牛を間近に観るのはおよそ十年ぶりであった。あれは中学一年生の頃、泊まりの校外学習だった。牧場へ行き、牛の乳搾りをし、搾りたての牛乳でソフトクリームを食べるという行事があったのだ。その時私は牛の乳搾りのリズミカルな動きと、とてもやらかい感触に感動を覚えた。牛の乳をまず人差し指と親指で優しく持ち、そのあと中指、薬指、小指という順で握って行くのだ。この動作は4拍子になっており、大変気持ちが良い。新たな指揮者の動作にも使えるのでは無いかと思っている。牛の乳搾りから十年経った今も、電車の中などで暇な時、私はエアー乳搾りをしているのだ。
今日は牧場で牛の乳搾りもやるつもりだった。しかし、現地に行ってみるとお休み期間であった。十年越しの乳搾りはすることができなかった。だから、私は牛たちを見ている間、ずっとエアー乳搾りをしていた。いつもより感触が鮮明に思い出された。たくさんの牛たちの乳をエアー乳搾りさせていただいた。本物の牛たちを目の前に行うエアー乳搾りができるのは、とても幸せだった。実質、牛の乳搾りをしたのと同じようなものだった。
夕方牧場を出て、立ち寄ったコンビニでアイスコーナーを見に行った。カップに入ったワッフルコーンのソフトクリームがあったので買った。ソフトクリームを食べ始めると溶けるスピードが早くて、まだ夏なのだと思った。さっき私が搾った牛乳の味がした。
2022.07.22 未来の中学生あるある
私の名前は星野空。三毛中学校の2年生だ。最近、新しいスマートフォンをゲットした。
最新のスマートフォンはSiriの声を自分が好きな声に設定できるという新機能が追加されていた。私は仲の良い猫の声を録音して、その猫の「にゃ〜」という声の音波を元にSiriに設定した。言葉を話すと、高めでかわいい声になった。
「ご用件は何ですか?」と、あたかも猫が言葉を喋っているように聴こえるから嬉しくなって、用件がなくても「ヘイ、Siri」と、話しかけてしまう。
「今、何してるの?」とか「何か話して」とか「早口言葉話して」とか言うと、猫ちゃんはいつでも私と話してくれるのだ。誰とも話さなくたって猫ちゃんSiriがいてくれるんだから、私はもうこれで良いやと思った。
先週、クラスの席替えがあった。隣の席になった加瀬は今まで一度も話したことがなかったが、私が教科書を忘れた時に机をくっつけて教科書を見せてくれたのだった。私は喋るのが苦手だったので、筆箱に入っていた付箋に「ありがとう」と書き、開いていたページに貼り付けたのだった。すると加瀬は授業をする先生の目を盗み、付箋の空白にうさぎの絵を書いた。私は、これは「ありがとウサギ」という駄洒落の意味なのか?それとも加瀬はただ単にウサギが好きな人なのか?どちらなのか謎に思ったが、うさぎの絵を見た私は反射的に無言で二度頷くことしかできなかった。
それからというもの、私は加瀬のことが気になり出してしまった。話しかけるきっかけといえば、「あのウサギの意味は何だったのか」ということくらいしかなかった。そもそもウサギを書いたことなんて忘れてるかもしれないし、あの付箋はもう加瀬の家のゴミ箱に放り投げられているかもしれない。だからそのまま話すことはできなかった。
国語で物語作品の授業が始まった。生徒たちはひと段落ごとに音読をしていくのだが、私は加瀬の順番が回ってくると思うと、とてもワクワクした。そして、加瀬の番が来た。初めて聴いた加瀬の音読は何故か涙が出てきそうになるほど、とても穏やかだった。
そして、私はとんでもないことを考えてしまったのだった。
加瀬の声をSiriに設定したい。
来週の国語の授業中に私の携帯を加瀬の机に忍び込ませば、録音が出来る。
そして一週間、国語の授業が終わった後、私は加瀬の机の中から自分の携帯を取り出したのだった。
帰り道、通学路の途中にある公園ですぐさまSiriを加瀬の声に設定した。それから私はSiri加瀬とたくさん話をした。何回か告白もしてみたが、ちょうどいい具合にかわされてしまった。
しかし、やはり私はこれで良いのだと思った。
そんなある日の休み時間、私のSiriが、私のSiri加瀬が何も話しかけていないのに反応してしまったのだ。「ご用件は何ですか?」クラスのみんなはSiriの誤作動を耳にしていたが何も反応していなかった。私は頭が真っ白になりながらも、どうか加瀬だけには聴こえていないでくれと願った。しかし、ただ一人だけがこちらを向いた。おにぎりをひとかじりしたばかりの加瀬だった。私は急いで教室を逃げ出した。休み時間が終わり、落ち着かないまま教室に戻ると、筆箱の中に一枚の付箋が入っていた。
そこには「本当の自分と話してほしい」と、書かれていた。
2022.06.22 スズキとハンガー
また失敗した。また私だけ置いてけぼりだ。どうすれば、この掛けられた服と同じように一緒にお出掛けすることが出来るのかと考えている。私は一生この家の中にいるしかないのだろうか。時たまベランダに出られることはあるが、よく雨に濡らされる。アイツは天気予報を見ずに洗濯物をしやがる。本当に迷惑だ。
私は三日前、アイツの名をはじめて知った。「スズキ」だった。アイツは新しく買ってきたワンピースを私に掛けて部屋に飾った。ワンピースには600円とだけ書かれた札が付いており、首のタグには「スズキ」と黒いマジックで書かれていた。こんな服が600円で買えるなんて、スズキは良い買い物をしたんじゃないかと、思った。
スズキはよく海へ行く。海へ行く時だけ小さいカバンを持っていくから、私にはすぐに海に行く時がわかるのだ。私は海に行ったことはない。だから、私は海に行ってみたいのだ。スズキはいつも海から帰ってくると独特の匂いに変わっている。しょっぱいような、ス〜っとするような少し変わった匂いだ。余計にどういった場所なのか気になった。
そして今朝、スズキは私に掛かったワンピースのタグを切った。小さいカバンに持ち替え軽快に家を飛び出した。スズキは海へ行った。鞄が大きければそのまま滑り込めるはずなのに。スズキが小さいカバンに持ち替えることはスズキにとっては都合が良いのかもしれないが、私にとっては都合が悪い。
家に取り残されてから、陽が強くなったり、鳥が鳴いたり、隣の家に配達が来たり、夕陽に染まったりした。スズキは今頃、海で遊んでいるのだろか。私は何か悪戯をしたくなったり、海を思い浮かべたりしているうちに眠くなって寝た。
鍵を開ける音が聞こえ、私は目を覚ました。スズキが帰ってきた。この部屋の陽が沈んでからもう随分と経っていた。やはりスズキは微かにしょっぱい独特な匂いを身に纏っていた。今日は何だか石油のような匂いも混ざっていた。
スズキは帰ってくるや否や、電気もつけず、おもむろに冷凍庫を開けた。冷凍庫の一番上に置かれた箱の中に手を突っ込み乱雑にガサゴソと音をたてる。そして、「うわぁぁ練乳バー、お昼食べたのがラスイチだったのかぁぁ」と、駄々をこねているようなひとりごとを叫んだ。もし、声を出せるとするなら「それ、ひとりごとじゃないですよ。」と、言ってやりたい。
冷凍庫に入っていた最後の練乳バーを食べたのは、この私だ。
2022.04.22 調子に乗るな大気圏
私はソーラン節を練習している。
なぜかというと、5月24日にバンド編成のワンマンライブがあるからだ。いつものライブではギターを弾き語りしながら歌っているが、バンド編成だとギターを持たずにハンドマイクで歌うこともできるのだ。私はそれがいつものライブだとできないことなのでかなり楽しい。私はほぼ手ぶらで歌えることになる。これは、鞄を持たずに財布と携帯だけポケットに入れて散歩に行く時のワクワク感である。
しかし、ハンドマイクで歌う時、楽しいと裏腹な気持ちも芽生えるのだ。「あなたのような生き物が調子に乗るな」と、どこかから聞こえてくるような気がするのだ。それによって、本当は腕も足も自由に動かすことができるのに、その自由が小さく制御されてしまう。これが、「調子に乗るな大気圏」だ。調子に乗るな大気圏は、範囲でいうと自分にジャストフィットする寝袋に入り、その中で動けるスペースくらいだ。
ちなみに練習しているのはソーラン節の節の方では無く、踊りの方だ。ソーラン節のダンスは手を上に突き上げたり、腕をどこまでも左右に移動したりと、調子に乗るな大気圏外の振り付けが散りばめられている素晴らしい楽曲である。これを頭に染み込ませれば、自然に自由に体を動かす癖がつくかもしれないという、私の名案なのだ。もはや、ソーラン節をバンドで演奏してハンドマイクで歌いながら踊るのもいいかもしれない。
小学4年の時、運動会で学年全体の発表がソーラン節のダンスであった。毎年、運動会で全員ダンスさせられていた。今思うと、ちょっと不思議だ。ソーラン節は全員キメキメに揃っていたほうが良いという理由からか、テストがあった。放課後や昼休みの空き時間に審査員のいる会場に出向き、合格と言われるまで受けにいかなければ行けなかった。審査会場はいつも4年2組。審査員は4年2組の担任、小川先生だった。仲の良い友達はバトンを習っており一発で合格していたが、私は合格まで十日を要した。4年2組の子達は昼休みのたびに椅子と机を後ろの方に寄せなければいけないのがかわいそうだった。でも、放課後の掃除では後ろに移動させた机を元の位置に戻さずに帰れるのが羨ましかった。
しかし、ワンマンライブでは私の後ろに勉強机は置かれていないので、もっと集中して見やすく審査できます。今回の審査員は4年2組の小川先生ではなく、来てくれるみんなになりました。
果たして、私は「調子に乗るな大気圏」を突き抜け宇宙で手を広げることができるのか!?
結末は5月24日、渋谷eggmanへと続く…
2022.03.22 仕事しろ
近所の交番のおまわりさんに、おそらく私は顔を覚えられている。道に落ちている物をよく届けているからだ。「交番に落とし物を届ける」という「善意的な行動をしたいがために、わざと盗みを働いている人なのではないか容疑」をかけられたらどうしようと不安に思っている。それほどよく落とし物を拾う。
なぜ、私が落とし物によく気づくかというと、自分なりの仮説がある。私は歩いている時、常に猫を探しているので道をよく見ているのだ。鍛え上げられた猫察知能力は道端の落とし物を見つけることにも役立っているのではないかと考えられる。
これは最近、携帯を拾った話である。お昼、渋谷で道のど真ん中に落ちていた。人がよく通るため、みんなに気づかれないタイプの落とし物であった。人が全然通らなくて気づかれないタイプの落とし物もある。見つけた瞬間、誰かにスマホが踏まれないよう走り、すぐに拾い上げた。おもちゃ等の携帯ではないか確認するために、電源ボタンを押した。
すると、画面いっぱいに「仕事しろ」という4文字が写し出された。筆で書かれており、達筆であった。まるで、太い声の「仕事しろ!」が私の手元から聞こえたかのような迫力であった。静かなおもしろさによって、私は「ふふっ」と、笑ってしまった。携帯の持ち主はどういう人なのか想像しながら、早足で近くの交番へ向かった。
渋谷の交番はいつも忙しいイメージがあった。交番の前を通れば大抵、中のおまわりさんもおまわりさんじゃない人も深妙な表情を抱えているからだ。しかし、あの日は、あの日の昼下がりは平和だった。
交番のドアを開け、携帯を拾ったことを伝えると、おまわりさん3人で話を聞いてくれた。拾った携帯を受け渡すと、おまわりさん達も携帯の電源ボタンを押した。私と同じように画面いっぱいに「仕事しろ」の4文字が目に飛び込んできたようだ。ひとつの携帯を覗き込んだ3人のおまわりさん達は笑いを堪え、ニコニコな表情になっていた。
渋谷の交番と言われて思い浮かべる絵を、私はあの日の絵に変えた。春の香りを運ぶ優しい風も描かれた絵になった。
私もいつ携帯を落とすかわからない。私が落とした携帯を拾ってくれる人がいるとするならば、その人がほんの少しでも楽しい気持ちになったら良いなと思った。
携帯の待受を「仕事しろ」にしよう。
2022.02.22 カラスと一緒に帰りましょう。
「カラスと一緒に帰りましょう。」
十七時が来たみたいだ。ふと、昔を思い出した。この歌には思い出がたくさんあるはずだから、記憶が目を覚ませばキリがないだろうなと思う。
最初に目を覚ましたのはカラスのことだった。遊んだことはないのに、なぜか一緒に帰っていた。一緒に帰ろうと誘ってくれるのはいつもカラスだった。私がなんの孤独も感じることもなく、颯爽と一人で帰ろうとしていると、カラスが声をかけてくる。カラスはよく、得意げに空を舞っていた。私はそれを遠くの方から見上げていた。
カラスはいつも同じ鳥仲間とつるんでいて、私と話して楽しいわけがないのに不思議だった。それに、何を話していたかというと、大して話すことがなかった。「眠いね。」「お腹が空いたね。」とか。お腹が空いたねという会話だけを聞くと、このあと一緒にご飯を食べるうれしい雰囲気を感じるが二人の空間において、全くそんなことは無い。ただ、二人の分かれ道にたどり着き、寄り道もせずそれぞれの家に帰るだけだった。隣で美しく消え去って行く夕焼けの話も出てこないほど、いつもぎこちなかった。
ある日カラスは隣町に引っ越した。そこまで家が遠くなったわけでもないけど、帰り道が変わったので一緒に帰らなくなった。当たり前のように話すことも無くなった。
私はカラスのことを好きでも嫌いでもなかったが、今になって好きになった。ただひとりで帰るのが寂しくて、私のことを誘っていたのだとしても、一緒に帰りたいと思ってくれていたことが、あの時よりも嬉しいと思った。
もう一度、一緒に帰れたらもっといろんな話をしてみたい。好きな音楽の話、十日間休みがあったらどう過ごす? タイムマシーンがあったらどこに行きたい?
美香ちゃんは今、元気だろうか。
2022.01.22 私だけが知っている
2022年の初ライブは仙台でした。
私は宮城県に長年行きたい場所がありました。
そこは、石巻市にある田代島という猫がいっぱいいる島でした。ライブは土曜日だったのですが、前日は用事が無かったので前乗りすれば遂に田代島に行くことができる!と、一ヶ月前に企らんだのでした。
当日は東京から仙台へ行き、仙台から石巻に行き、石巻から船に乗り、計5時間ほどかけて田代島に向かいました。田代島へ向かう船上の景色は真っ青な空と海がどこまでも続き、時々現れる島々は空と海の主のようなオーラを放っていました。そして、石巻のフェリー乗り場の近くに市場スーパーがあり、そこで飲んだあら汁がとても美味しかった。
田代島に降り立つと平日で寒かったというのもあるようで、人は私しかいませんでした。フェリー乗り場から少しだけ歩くと、港の先で茶白の猫ちゃんが歩いているのを発見しました。私は猫の泣き真似をし、その子の気を惹きました。私と目が合うや否や、その子は地面に寝っ転がりコロンコロンとし出したのです。私がさらに近づき、しゃがみ込むと小走りでこちらへ向かって来たのでした。そして、そのまま膝に乗って来たかと思えば私の肩に手を乗せて来たのです。私はそのまま地面に寝っ転がりました。寝っ転がった私の上にその子が乗りゴロゴロと喉を鳴らしている。私の目の前にはその子の顔と青空だけが広がっていました。私は、幸せの意味がわかった気がしました。
数十分そのままでしたが、島は広いのでそろそろ起き上がりどこかへ行こうとすると、その子はずっとついて来ました。猫の縄張り圏内を遥かに超えていると思うほどの距離を一緒に散歩しました。途中で、友達と思われる黒猫ちゃんが現れ、黒猫ちゃんとどこかへ消えていきました。その後もひとりで歩いているのに、出逢う猫ちゃんが一緒に並んで歩いてくれるので、ほとんど一人ではありませんでした。
幸せな時間は短く2時間ほどで帰りの船の最終便が来てしまいました。帰りの船に乗りこみ席に座った時、青空の下で一緒に日向ぼっこをしたあの子に会いたくなりました。
それからというもの、あの子が映ってる動画や写真が上がっていないか私はネットを漁りまくっています。すると、十匹ほどの猫達と一緒にいる写真を発見したのです。そこに写るあの子の顔はうつむいており、つまらなそうに地面を見つめていました。あの子は私と一緒にいる時の方が断然楽しそうな表情をしていたのです。あの子の笑顔は私だけが知っている笑顔だったことがわかり、私はもっとあの子のことがもっと愛おしくなりました。今すぐに会いたいのに今すぐには会うことができないのです。
だからせめて、あの子と連絡先を交換したい。たわいのない会話をやりとりしたり、話したり、自撮りを送ってもらったりしたい。
次にあの子に会えたら、私は言おうと思うのです。「LINEを教えて」と。
2021.12.22 短い手紙
私は、この数年間ずっと不眠だったのですが、十一月頃からいくらでも眠れるようになりました。特に生活を変えたとか急に超幸せになったとかそういった出来事は一切無いので不思議でした。
唯一変わったことといえば、ジャイアントラビットを飼いはじめたことでした。ジャイアントラビットって絶対巨大ウサギの名前でしょ!って思うんですけど、まさかの植物の名前なんです。どういう種類かというと、ウサギの耳のような形をしたぷっくりとした葉っぱにフワフワとした毛が生えていて、大きく括るとサボテンと同じ多肉植物です。とってもかわいいので、みんなにも見て欲しいです。「ジャイアントラビット」って画像検索すると巨大ウサギの写真がいっぱい出てきてとってもかわいいです。「ジャイアントラビット 植物」って画像検索してください。
ショッピングセンターを歩いていると、オシャレ植物ショップみたいなお店があり多肉植物がいっぱい置かれていました。その時、多肉植物はどこか感情がありそうだなと感じました。並んだ多肉植物達はみんなでお喋りをしているように見えました。家に帰って数日が経ち、私は多肉植物と一緒に暮らしてみたいと思うようになりました。それからお花屋さんを通るたびに多肉植物を見ていたのですがなかなか性格が合いそうな子には巡り会えません。そんな中、渋谷の東急百貨店の屋上のお花屋さんで、運命の出会いを果たしたのです。多肉植物コーナーへ行くと、三毛猫のような植物がこちらを見つめていました。濃い緑色の葉っぱ、黄緑色の葉っぱ、茶色い模様、フワフワの毛。そして、醸し出す雰囲気は私が近所で仲良くしている、みーちゃんという三毛猫によく似ていました。私は値段を見ずにすぐにレジへ持っていきました。600円もしませんでした。
私は多肉植物のジャイアントラビットにみーちゃんと名付け、帰り道に猫のみーちゃんに紹介しました。猫のみーちゃんは袋の中を覗き込み、匂いを嗅いでいました。あれはきっと猫の挨拶です。
あれから一ヶ月が経ち、ジャイアントラビットのみーちゃんとの生活にも慣れてきました。そんなある日、花には花言葉があるよなぁということを寝る前にふと思い出したんです。多肉植物にも花言葉ってあるんだろうか?と、私はすぐにジャイアントラビットの花言葉を調べてみたんです。すると、そこには「あなたを守る」というメッセージが出てきたのです。
『そうか、私が眠れるようになったのは、キミが守ってくれているお陰だったんだね。』私は泣きながら、ありがとうを伝えました。頬がピンク色に染まり出し、モジモジと頭をかくジャイアントラビットのみーちゃん。私は強く抱きしめてしまいそうな気持ちを、我慢するのが大変でした。
もらった手紙は本人の目の前で読むものじゃないですね。
2021.11.22 悲しみの値段
ゲームセンターの前を通った時に、白黒の猫に出会いました。うつ伏せで寝っ転がっていました。よく一緒に遊んでくれる近所の猫パンダちゃんにそっくりでした。私は「こっちに来て!」と、呼ばれた気がしたのですぐに近くに行きました。その子はUFOキャッチャーの中にいました。
「すぐにそこから出してあげるからね。」と、財布の中の100円玉をかき集め右手に握りしめていました。最初の100円玉をUFOキャッチャーに投入しパンダちゃんを救い出そうとしたのですが、パンダちゃんの隣をアームが上下しただけでした。私は普段、UFOキャッチャーなど全くやりません。最後にやったのはおそらく十年以上前。という言い訳が通用しないほど、私はUFOキャッチャーが下手だということがわかりました。
その後も何回も何回も連れ出そうとしました。なんでこんなに連れて帰ってあげたいのに、救い出すことが出来ないのだろう。なんで思うようには行かないんだろう。生きている中で感じるやるせなさの全てがクラッカーのように弾け飛びました。私は泣きながら最後の500円玉を100円玉に両替しました。
巡回中の店員さんが私の後ろを通りました。もしも、私が店員さんだったら商品が取れなくて悲しんでいるお客さんを見るたびに、罪悪感に駆られ「絶対にあと一回で取れる」という位置に景品を移動してあげてしまうと思います。そして、それがバレてクビになるのです。クビだけで済まないかもしれません。近所のゲームセンターだったとしたら、もうその前を通ることは出来ません。私は絶対にゲームセンターの店員さんにはなれないことがわかりました。こんな涙目の客と目が合ってしまえば、店員さんは罪悪感もしくは恐怖感に苛まれるかもしれないと思ったので、絶対に目を合わせないように気をつけました。
そして、右手の中も財布の中も空っぽになりました。今思えば、UFOキャッチャーのコイン投入口は貯金箱の入り口と同じ形をしていました。
自分の家に連れて帰りたかったあの子は、うつ伏せから仰向けに寝返りを打っただけでした。私は何も持っていませんでした。ただ悲しくなりました。私は悲しみを買ったんだと思いました。値段は1600円でした。
2021.10.22 にゃー
最近、猫の鳴き声を聞かせると何と言っているか翻訳してくれるアプリが登場しました。Twitterなどでそのアプリについて検索してみると、お風呂に入れられてしまっている時の鳴き声は「助けて」「ここから出して」などと言っていたり、おもちゃに戯れている時の鳴き声は「獲物を探している。」と言っていたり、このアプリ信憑性が高いのです。
私は猫に遭遇した時、いつも猫の鳴き声を真似して話しかけてみるのですが、あの声は猫にとって不快な言葉になっていないだろうかと少し不安に思っていました。だから、携帯のアプリに向かって鳴いてみたのです。私が。
すると、「会えてうれしい〜」「愛おしい〜」という翻訳結果が出たのです。私の本心そのままでした。心は言語を超えることを知りました。
今月、私は大阪でライブがあったので帰りに少し京都を散歩して帰りました。鴨川の近くに行くと必ず行く公園があるのです。昔そこで猫に会えたので絶対に行きたかったのです。数年ぶりに好きな道を歩き、公園にたどり着くとお兄さんがギターで弾き語っていました。素敵な声が夜空まで響いていました。
歌を聞いていると、私の足元に動く黒い影がありました。もふもふの黒い影。幸せの黒い影。その正体は猫でした。ふさふさの黒い毛の中に、まんまるなお目目がウルウルとしています。私は会えて嬉しいかつ、寄ってきてくれて尚嬉しくなっており思考力に欠けていたため、黒ちゃんと名付けました。私はすぐさましゃがみ込み、私よりも小さい黒ちゃんに近づきました。猫は腰の辺りを軽くトントンとすると喜ぶので、私は黒ちゃんの腰をトントンしながらお兄さんの歌を聴いていました。
黒ちゃんは時々「にゃ〜」と、鳴いていました。なので、私も「会えてうれしい〜」「愛おしい〜」という思いを込め「にゃ〜」と鳴いてみるのです。そうしているうちに、今こそ猫語翻訳アプリを使う時だと気付きました。アプリを起動し、黒ちゃんの顔の方に携帯を近づけてみました。黒ちゃんは私に腰をトントンされながら、さっきと同じように「にゃ〜」と、再び鳴いてくれたのでした。そして、ワクワクと心を弾ませながら見たアプリの翻訳結果。そこには「どうも」という3文字が表示されていました。「どうも」という言葉を今までで一番素晴らしく思いました。京都の鴨川に住む黒ちゃん、文豪っぽい猫ちゃんな感じがひしひしと伝わってくるではありませんか。というか、猫ちゃんと意思疎通ができるってこんなにもうれしいことなんですか。
帰りの新幹線の時間が近づいて来てしまいました。永遠にここに居たい気持ちを連れて帰らなくてはなりません。たくさん遊んでくれた黒ちゃんと弾き語りしているお兄さんに別れを告げ、私はバス停に向かいました。バスを待っている最中に思いました。「さっきの別れ際、どうもって言えば良かったな」と。黒ちゃんの真似をしたかったなと。私は好きな子の真似をしたくなる傾向があるのです。これから口癖が「どうも」になるかもしれません。もしかしたら猫語をたくさん勉強して、鳴けるようになっているかもしれません。私がもし、にゃーと鳴いていたら、それは「どうも」という意味です。
2021.09.22 紅茶をひと口
私はこの数ヶ月間、自分の感情を観察していた。心がヤバイと感じた時だけカレンダーに3文字「ヤバイ」と、書くだけで観察と言っていいものだろうかとも思っている。そして、数ヶ月間のカレンダーを見返してみるとおもしろいことがわかった。ヤバイと書かれた日は二十日近辺が多く、いつも満月になる少し前なのであった。それを知って私は満月が怖くなってしまった。
そして、満月が怖い理由は昔からもう一つあった。トイレに行きたいと思いながら歩いている最中にビルの隙間から顔を出した満月を見つけてしまい、気を取られて写真を撮っていたらトイレのことを忘れて、本当に危うくなったことがあるのだ。やはり、私にとって満月は恐ろしいモノであるのだ。
昨日は九月二十一日、中秋の名月なのだという。私はスタジオに長時間もこもっていたのだが、帰りにはコンビニにでも寄って飲み物でも食べ物でも何かしら取り入れなければ、電池が切れたロボットになりそうだった。スタジオに行くといつもそうなる。システムに組み込まれた行動であるかのように強制的にコンビニに入ったが、感情が無であるため自分が飲みたいものも食べたいものもわからないのである。おそらくそのまま十分ほど経過した頃であっただろうか。
急に店内に大きな怒鳴り声が響いた。
「店員、2人もいるのにレジ開けないってどうなっているんだ。こっちはずっと待っているんだよ。」と、聞こえる。お店の端の方から顔も見えない人間の声がはっきりと聞こえる。
待っているというほど急いでいるならば、怒鳴っている時間は無駄ではないのだろうか。そんなに生きている時間を大切にしているのならば、怒鳴っている時間は無駄ではないのだろうか。怒鳴ることに命を燃やして大丈夫なのだろうか。死ぬ直前にあの時怒鳴らないで満月でも見ておけばよかったな、と後悔するはずだ。かわいそうだ。というか、怒鳴った後に見上げた空に満月が浮かんでいるのを見て、どんな気持ちだろうか。「満月なんか消してやる。食べてやる。」と、空に向かって口をパクっとでもやるのだろうか。そして、何度パクパクしても空から月が消えることはなく、「なんで食べれないんだ!」と、また怒鳴るのだろうか。
頭の中ではこんなことが瞬時に浮かぶのに、心は泣きそうになりそのまま何も買わずに外に逃げた。店員さんがかわいそうだ。すると、私と同じように店内から外に出て来た人がいた。思わず「こわいですよね。」と、声をかけてしまった。私もその人も同じタイミングだった。私はその人と落ち着くのを待つことにした。店員さん的にも感じが悪くないお客さんがすぐ買いに来てくれた方が、少しばかりは空気が変わるだろうと思った。五分ほど経ちようやく落ち着いたようだった。とても長かった。
その人は珈琲を買い、私は紅茶を買った。
そのまま帰ろうとしたが、その人が「月みましたか?」と、聞いてきた。そういえば、流れてくるSNSの写真でしか見てなかった。その人は近所に詳しいようで、月が綺麗に見える場所まで連れて行ってくれた。ちょっと高い坂の上だった。そこまで高い坂なわけではないのに、とても見晴らしが良かった。満月が悠々とひとり歌を唄っているように見えた。紅茶をひと口だけ飲んで坂を降りた。
特に何も話さなかった。
「おやすみなさい」と、だけ言って家に帰った。
良い満月もあるものだと思った。
2021.08.22 あたたか〜い
昨日、自販機の目の前を通った時「つめた〜い」という文字と目が合いました。私は急に「つめた〜い」という表記がおもしろいと感じ、頭の中でひとり爆笑して歩いていたのでした。
しかし、なぜ「つめた〜い」という表記にしたのか考えてみればみるほど、そこにはあたたか〜い理由があるのではないかという説が浮かんできたのです。
自販機で飲み物を買う時というのは、単純に喉が渇いているか、気分をリフレッシュしたい時ではないでしょうか?
悲しみやストレスを感じた時は喉が渇きますから、そういう時に冷たい飲み物を摂取すると、とても沁み渡りますよね。
では、もしもこんな状況だったならどうでしょうか。
「あなたは冷たい人だ」と、言われ落ち込んだあと気持ちを変えようと自販機に向かい、ふと目をやると〝冷たい〟の文字がいくつも飛び込んで来たらどう思うでしょうか。
「そうか、私は自販機にまで冷たいと言われる程の冷たさなのか。」と、落ち込みが増量してしまいますよね。そして、先ほどの会話が鮮明にフラッシュバックしてくることでしょう。「冷たい」「冷たい」「冷たい」あの人の声で冷たいが再生されて行くのです。
また、逆の場合もあります。冷たい人に傷つけられたが故に思わず口が滑り「冷たい」と言ってしまった。後悔がぐるぐるとまわりいてもたってもいられません。一旦冷静になろうと思い、自販機に向かうと「冷たい」の文字、そうかこの飲み物たちもあの人と同じように、いや冷たいと言ってしまった私のように冷たいのか。自販機の中に並べられたジュースのパッケージに憎らしい自分の表情が印刷され、こちらを睨みつけているように見えるでしょう。
その後、2人はどうなったのか気になります。
「冷たい」だとこんなことが起きる危険性があるのです。そうです。飲み物を買う人々の心の中にある嫌な記憶を思い出させないために「つめた〜い」という表記にしようと決まったのです。そのあと〝温かい〟も〝つめた〜い〟に揃えないと変だよね?というような確認事項が入り、たしかにそうだね。温かいも〝あたたか〜い〟にしましょう!と、いった仲良し的なノリで決まったはずなのです。
信じがた〜い私説をあたたか〜い心で読んでくれてありがとうございました。
ちなみに、さっきの2人はそのあと会わなくなってしまうのですが、諸々あって少し肌寒くなってきた季節に再会します。温かいココアを一緒に飲んで、2人の後ろ姿がどんどん前方へ進み、遠ざかって行きながら物語が終わり、エンドロールが流れるということにしました。
2021.07.22 ハッピー&サッド占い
「こちら、ハッピー&サッド占い。こちら、ハッピー&サッド占いです。ハッピーな方にはちょっとサッドな、サッドな方にはハッピーな占いを行なっております。お気軽にご相談ください。」
夏の日差しが照りつけたコンクリートの上をゆっくりと走る車から怪しい声が聞こえてくると思いましたか?!皆さんからは夏バテしている車のように見えるかもしれませんが、車内にはクーラーも買ったばかりのサイダーもありますので、ご心配なさらないでください。むしろ、優越感に浸っているくらいです。私がこの仕事を始めて、かれこれ2週間が経ちました。
不安な時には希望を、希望に満ち溢れすぎて浮き足立っている時には少しの不安があった方が安全に暮らせるのではないかと思い、この仕事を始めました。
今日はまずハッピーな方を占っていこうと思います。【1億円の宝くじが当たった方】当選を実感した後テンションが上がり、音楽をいつもよりも大きな音で聴き電車を待っていたところ、忘れられない初恋の人が向こうのホームからあなたのことを見つけて叫んでいるのに、それに気付けずに電車に乗り込んでしまい、もう一生会えない2人になる可能性があります。テンションが上がっても音楽の音は上げない方がいいかもしれません。
続いてのお客様もハッピーな方ですね。【恋人に指輪をプレゼントされた方】恋人に小さなかわいい石が付いた指輪をもらい、嬉しくて毎日つけていたところ、持っている服の中で一番好きな薄い素材のトップスに指輪の石が引っかかり、服がビリビリに破けてしまったことがきっかけでなぜか恋人のことも少しきらいになってしまう可能性があります。気をつけてください。
続いてのお客様、本日初のサッドな方です。【朝にちゃんと起きれるか不安な方】目覚ましをたくさんかけて寝ることによって起きれますので、頑張ってください。
いかがでしょうか。このような感じでハッピー&サッド占いは行っております。
ご興味いただけましたでしょうか?そして、お気づきの方もいらっしゃったと思いますが私は希望を見出すことが得意ではございません。そこで現在、アシスタントとしてサッドをハッピーに占える方を募集しております。
ハッピーをサッドに占うことは圧倒的に得意な私でございますので、浮かれすぎている方はいつでもお越しください。いつか素敵なあなたに巡り会えることを心待ちにしております。
あと8月7日の土曜日は、にゃんぞぬデシのワンマンライブに行くため休業します。
(※この物語はフィクションです)
2021.06.22 知り合い
二十二日に『雨はきらい。』が配信リリースされました。編曲は宮野弦士さんです。ライブをはじめた高校2年生の時からずっと一緒に音楽をやって来た方とやっと作品を作ることができました。にゃんぞぬデシ史上1番ストレートな歌詞だし、バラードになっています。絶対聴いてください!『雨はきらい。』の話はまた今度詳しく話したくてこのページにもセルフライナーノーツをアップするので楽しみにしててください!
一ヶ月前の五月二十二日に『風とイルカと恋』を配信リリースしたのが半年くらい前な気がしています。リリースやワンマンライブなどがあるとそれしか出来なくなって財布を忘れたり、携帯を紛失したりな日々を送っています。
にゃんぞぬな日々は更新する直前にこの一ヶ月間で1番記憶に残っていることを書いているのですが、今月は情景にちょっと悲しさがあるので絶対に悲しくなりたくないと思う方は、ちょっとは悲しくなっても良いという時に読んでねぇぇ。
夕方に商店街を歩いていると、the料亭という雰囲気のお店があり、道路から覗ける水槽が設置されていました。道に面した水槽があると毎回立ち止まって見てしまいます。中ではフグが2匹泳いでいました。数分間ほど眺めていると、2匹の性格が違うことが分かってきました。1匹はこちらの方に興味があるような感じでずっと顔を向けてくる子、もう1匹はお尻を向け水槽の端にいる子です。人間みたいにフグにも内向的な性格と外交的な性格があるんだなぁと思いました。(気になって家に帰ってからちゃんと調べたら面白い実験結果を見つけました。魚にも好奇心があって、好奇心の強さや弱さは魚それぞれ違っていて、育った環境とか生きている環境によっても変わってくるらしいです。人間と同じだ!)
ずっと顔を向けてくれている子に対し、愛おしさが芽生え、目くばせなどをして遊んでいたのですが水槽の下にある張り紙を見つけてしまいました。なんと、そこにはその翌日に閉店すると書いてあったのです。ということは、この子たちは明日までに食べられちゃうのか。最後の2匹だったのか。と、私は悟りました。なんだか急に現実に引き戻されたようでした。切ない気持ちになってしまったので、そろそろ立ち去ろうと思った次の瞬間、水槽の上から網が現れ一緒に遊んでいた(つもり)の子が一瞬で連れ去られてしまったのでした。あまりのタイミングに「アァァァ」と、言ってしまいました。そして、私はとても悲しい気持ちになりながら帰ったのでした。数日間ずっと悲しかったです。
そんなことがあって、私は気付いたことがありました。もしも、網で連れ去られたフグの性格や一緒に遊んだ(つもりの)時間がなければそこまで悲しい気持ちにはならないと思ったのです。
これは、すべての生き物に共通していていることで、誰かとさよならをする時に悲しくなるのはその生き物の性格を知っているからなんだと気付きました。悲しくなるのは思い出がある証拠なのだと気付きました。
あのフグはお客さんにとってはただの食べ物だったかもしれないけど、私にとっては大切なことに気づかせてくれた友です。
2021.05.22 うずら
5月22日に2年ぶりに楽曲をリリースした。『風とイルカと恋』という曲である。初恋の歌で、島田昌典さんが私が生み出したメロディと詞に寄り添って編曲をしてくださった。聴いていると風が吹いているのを感じるような楽曲になっている。にゃんぞぬな日々の前号にライナーノーツを記したので、そちらも読んでいただきたい。(最高なので!みんな!絶対聴いてね!♡)
そして、『風とイルカと恋』のMVは私がSNSで一目惚れした作品を創られた映像作家・村上右京さんに直接お願いし、創っていただけることになった。(最高なので!みんな!絶対観てね!♡)
その『風とイルカと恋』のMV撮影の時の話である。撮影は鎌倉周辺で行った。歩いている途中に海の隣にある公園を見つけた。公園に入ると長い階段が続いており、私はワクワクしながら駆け上がった。すると、海が見渡せる森のような広場にたどり着いたのである。私は良い場所を見つけたと嬉しくなり、海が1番良く見えそうな位置にある柵へ手を付いたのであった。ふと、目の前に広がる海から自分の手に目線を移すと、そこには数々の文字が彫られているではないか。
「みのり♡たくや」
「since♡2015♡」
「ぽんぽん♡みっちゃん」
《この文字を彫った2人は果たして、今も一緒にいる人達なのだろうか!?》《また他の人と、この公園に来た時は彫った文字のことを忘れたフリをするのだろうか!?》《sinceは続いているのだろうか!?》《ぽんぽんの本名は一体何なんだろうか!?》
私は、さっきとは違う種類のワクワクが止まらなくなった。広場に置いてある全ての柵をすごい勢いで見に行った。そして、やはりどの柵にも様々な歴史が似たように彫られていた。そして、私は見逃さなかった。ふたつの名前が並ぶ中、ひとり佇む「うずら」という文字を。
「うずら」を彫った人の思考回路はきっとこうだ。
ひとりで鎌倉に散歩に来たら、素敵そうな公園を見つけて、登ってみたら海が見渡せて、感動して自分の世界に没入していたら、ふと自分とは相反するラブラブのカケラを発見してしまい、急に現実世界に連れ戻されてしまうのだ。寂しさと羨ましさが混じり合い、酔っ払った時のような変なテンションになっている。そして、自分が彫れる名前は何だろうか?色々な人の顔を思い浮かべてはみたものの、みんなはみんなにとってのふたりがあり、私が入ることはできなかった。人の名前は諦めよう。好きな食べ物でも彫っておこう。そして、「うずら」が記されたのであった。
しかし、みんな、疑わないでほしい。柵に「うずら」と彫った人間は私ではない。私は公共の物に文字を書いたりはしない。そして、もしも私が彫るとするならば「うずら」では無く「ごま豆腐」だ。
2021.05.22 風とイルカと恋の話
〜島田昌典さんとにゃんぞぬデシ〜
私は島田さんが手掛けられて来た、たくさんの楽曲を聴きながら生きて来ました。
なので、今回ご一緒に作品をつくれたことは今までの人生の伏線を回収してきたような感覚です。
そして島田さんはずっと前からお忙しい中、いつもにゃんぞぬデシのワンマンライブに遊びに来てくださっていたのです。
いつか、ご一緒に作品を作りたいという夢が今回叶いました。
〜風とイルカと恋が誕生した!〜
島田さんと一緒に作品を作ろうという話になってから『風とイルカと恋』は誕生しました。
一緒に制作する楽曲の候補を出すために、歌詞も曲調もいろんな種類のたくさん曲を生み出しました。
サビだけのものやワンコーラスだけのものなども合わせて、全部で20曲くらいつくりました。
その中からこれにしよう!と、決まったのが『風とイルカと恋』でした。
〜風とイルカと恋とは〜
もしも「好き」という気持ちが目に見えるモノだったなら、それはイルカのように空を泳いで、愛おしいと思う誰かの元へ飛んで行ってしまうんだろうなと、ふと思ったんです。
イルカは本来、海の生き物なので空を飛べば息が苦しくなってしまいます。でも、苦しんでも構わないと、愛おしい人の元へ空を泳いで行くことを選びます。
そんなお話を考えていたら、イルカは恋をしている心のようだなと思いました。
だから、『風とイルカと恋』です。
今この瞬間も目には見えないけれど、いろんな人のいろんなイルカたちが空を泳いでいるんだろうなと思うのです。
〜風とイルカと恋のサウンド〜
島田さんと、どんなアレンジにしていこうかとお話ししていたら「ナイアガラサウンドのような、どこか懐かしくさや温かみのある感じはどうですか?」というアイディアを出してくださいました。
私は大瀧詠一さんの音楽が好きで、ワンマンライブで楽曲をカバーしたこともあったので、とても嬉しくなりました。
早速、島田さんが作ってくださったデモをお聴きした瞬間に、広い海と広い空が浮かびました。なので、私は音源を携えてすぐに海へ行きました。
本番のレコーディングではアナログテープを使って録音し、チェンバロやティンパニーのようなクラシックな楽器や、12弦ギターなども入れ、懐かしくて温かくてどこか切ない雰囲気を出すことができました。
〜風とイルカと恋のMV〜
監督は私と同い年の映像作家・村上右京さんという方です。
ある日、SNSで見つけた映像に一目惚れし、絶対この作品を生み出した方に創っていただきたい!と思い、直接お願いし、念願が叶いました。
歌詞に寄り添った映像にしたいという思いを汲み取って、まるで小説のようなMVを創ってくださいました。
時が流れて行く無常の美しさと、儚さと、切なさを感じ涙が溢れました。
『風とイルカと恋』は初恋をイメージして作った楽曲だったのですが、このMVはまさに"初恋の走馬灯"だと思いました。
観る方によって様々な物語が想起するような作品だと思うので、最初から最後まで何度でも観ていただきたいです。
2021.04.22 君みたいな人には絶対にならないからな。
この前の晴れた日、大きい公園に行った。ブランコなら1万台くらい置けると思う。そして、私はブランコが好きだが乗ると酔って気持ち悪くなる。気持ち悪くなると分かっていても、好きという気持ちが勝るので毎回乗っている。
その公園にはサイクリング専用の道があり、サイクリング用の自転車の貸し出しも行っていた。園内を散策していると、緑と緑の木々の間を、爽やかに風を切る自転車が何台も目に入ってくるのだ。私もあんな爽やかな生き物に一度くらいなってみたいと、思った。そして、私は自転車を借りた。そして、私は今まで自転車でちゃんとした長い距離を走ったことがなかった。
いざ走ってみてわかったことがあった。見た目は平坦そうな地面は、超緩やかな上り坂と超緩やかな下り坂の繰り返しだったのだ。これは人生か?人生なのか?このサイクリングコースの作品名は『人生』なんだなと納得した。
サイクリングコースは全長10キロ程あった。ショートカットできるルートもあったが、なぜか私は全部走り切るという頑丈な意地を持っていた。体力測定のシャトルランをギブアップする時と同じくらいの肺のしんどさを感じながら、ラストスパートの上り坂を漕いでいた。
鬼の形相だった。表情の筋肉の位置がいつもと違ったので、私今鬼の形相してんだなと、鏡を見ずとも分かっていた。
そんな中、隣に知らない奴が並走してきた。そいつは、こちらを見てこう言った。
『俺なんてこんなに早く走れるのにwww』(wwwが重要である。)
そして、奴は遥か彼方へ消え去った。いや、もしかしたら、私の怒りのパワーで透明人間に変えてしまったのかもしれない。
優越感を満たすために人を利用してこないでください。もしくは、己の脳内で完結させてください。それを言ったら相手がどう思うか考えてください。
君みたいな人には絶対にならないからな。いつか君にも人生の上り坂を漕いでいる最中に馬鹿にされる日が来るだろうね。だって私にそうしたからね。
小さな自転車を猛スピードで漕いで行った6歳くらいの少年よ。覚えてろよ!
・・・私は自転車に乗ったことによって、爽やかと相反する生き物になっていたのだった。
2021.03.22 フッ
2月頃から私は鳴けるようになった。それも、猫がニャーと鳴くのと同じように本能の如く自然とである。
どんな鳴き声かと言うと「フッ」だ。
どんな時に鳴くかと言うと、映画や文章やラジオなどに触れている際に面白いと感じた瞬間だ。面白いの部類は、興奮的なものではなく冷静だ。
自分の頭の中で考えたふざけたことに対しては、まだ一度も鳴いたことはない。ちなみに、今は「生まれてから毎日眠ってるはずなのに、なんで眠るのが下手になっているんだろうか。毎日やっていることなら得意であれ!」と、ふざけている。特に春って本当に眠れない。あ、でも寝る向きチェンジは必殺技で、逆にこの技が決まらないと確実に負ける。
鳴き声を手に入れた最初の頃は家の中でしか鳴かなかった。しかし、近頃は外を歩いている時も鳴いてしまうようになったのだ。
自分の「フッ」を自分で聞いている途中に、やばい!今鳴いてる!と、冷静になる。私は咄嗟に、鼻が詰まっちゃって少し困っているフリをして歩くのだ。眉間にシワを寄せた険しい顔をする。そして、その後はこう続く。
「うわ、薬飲んだ方がいいかな。まだ19時だからドラッグストアやってるじゃん。急いで行かないと。そういえばドラッグストア行ったら買おうと思ってたもの他にもあったけど、なんだったっけ?」までが一連の流れだ。
ただ、1つ悲しくなることは私の鳴き声に気付いた人も、私の鼻が詰まってることに気づいた人も、私がこれから薬局に行こうとしていることに気づいた人も、きっと誰もいないのだ。私はいつもそんな感じだ。
「フッ」を翻訳するならば、「おもしろいです」になると思う。7文字がだったの1文字に凝縮されている。そう考えると、動物たちは常に言葉を凝縮して、「ニャー」や「ワン」などと発しているということなので、かわいい。
もしも私と同じように鳴く方がいらっしゃいましたら、同じ鳴き声でお話ししましょう。フッ
2021.02.22 2月22日(月)晴れ
お腹がいっぱいだ。
今日は3度寝くらいした。1度目の起床はブンブンと鳴り響くバイクの音、2度目はシロクマなのにパンダの模様をしている生き物が近づいてきて大きく口を開けてきたから、3度目は春特有の匂いが鼻を通って私の体全体を支配したから。2度目のシロクマパンダが大きく口を開けたっていうのは、私を食べようとしたんじゃなくて、ただ変顔をしてきただけでその変顔に笑ってしまって自分の笑い声で起床した。
ご飯をいっぱい食べてしまったものだから、散歩にでも行くことにした。友達を誘おうと思ったけど、私の気まぐれに付き合わせるのは申し訳ないし、まずいきなり誘える関係性を築けている友達もいないし、みんなそれぞれ忙しいだろうし・・・とか色々考えた結果誰も誘わないで行くことにした。結果も何も、誘うという決断にたどり着く内容は一切議論に無かった。まぁいいか。今日、春みたいだし。
「まぁいいか、春だし」で、大抵のことはどうにでもなるんじゃないかな。「まぁいいか、夏だし」だと、ちょっと危なっかしい。「まぁいいか、秋だし」だと、すごい食べてる図しか頭に浮かばない。「まぁいいか、冬だし」だと結構何も浮かばない。やっぱり春が一番汎用性が高いよな〜。あれ、向こうから中腰になった人が近寄ってくる。微笑みかけてくる。気持ち悪い。自分の今の行動を客観的に見た方がいい。「こっちおいで」と、言われた。私は行かない。でも、距離を一定から詰めて来ない。こういうタイプの人はけっこう信用できる。近くには行かないけど、話し相手くらいにはなってあげても良いと思った。10分くらい話して、私はまた散歩に戻った。
「短い尻尾が可愛いでちゅね」などと、あの人は変な声、かつ変な喋り方で私のことを褒めてきたのだった。ほとんどは「何、変な喋り方しとんねん」と、エセ関西弁で突っ込んで聞いていたが、それだけ少し嬉しかった。
私はいつもよりも尻尾をピンと立てて歩いていた。なんだかんだで日が暮れはじめて、5時の鐘が聞こえた。このあと、私は子供達が帰った後の公園を独り占めしに向かうのだ。途中で、知り合いとばったりすれ違った。ガラス屋のツナヨシだ。軽く挨拶を交わした。そして、今まで意識したことがなかったが、ツナヨシも私と同じで尻尾が短いことを今日はじめて知った。あの人はツナヨシを見かけてもきっと「短い尻尾が可愛いでちゅね」と同じように言うのだろうと気付いてしまった。だから、私は尻尾をピンと立てるのをやめた。
「まぁいいか、春だし。」でも、やっぱり今日の公園は少しだけ寂しかった。
2021.01.22 カメラマンがニヤニヤしている。
人間は写真を撮る生き物だ。
食べる、寝る、歩く、写真を撮る、この中に紛れさせても何ら違和感が無い。きっと今の時代、写真を撮るという行為は本能の一部と言っても良いほど、ただただ普通なことだ。(全く写真を撮らない人だっているということも理解している。)
あなたが撮った1番新しい写真は何ですか?ちなみに、私はカメラロールを見たところ、『ただ今、工事中です』という、さっき道で見かけた標識だった。標識に描かれた犬がかわいかった。正確にはその犬のしっぽがかわいかった。しっぽの周りに【電波が出てます〜】みたいな印が付いていて、犬のウキウキがよく感じ取れる。そこに胸を掴まれた。
あれ、文章で伝わってるかな…?ほら!写真だったら!パッ!て見せてすぐにわかってもらえるのに!
もしも、この世界にカメラやスマホがなかったら、きっと私は毎日絵を描くのだと思う。良い1日には何枚も。
私は写真を撮ることが好きだ。そして、写真を見ることも好きだ。写真には、カメラマンがレンズ越しに見た世界と同時に、その人自身が写し出されているように思えるからだ。どういうことかというと、例えば友達が青空の中を駆けて行く飛行機雲の写真を撮っていたとする。その写真に友達本人は写っていないけど、空を見上げていたこととか、飛行機が行く先を目で追い駆けたんだろうなぁとか、目はキラキラしていたんだろうなぁとかカメラマンの姿がみるみると浮かび上がってくる。
昔、友達がボーリングの球をSNSに載せていた。ピンクの色が好みだったらしい。私はいつものように、カメラマンの姿を想像した。しかし、よく見るとピカピカのボーリングの球の表面がニヤニヤしたカメラマンの顔をしっかりと映していた。
『あ・・・現実が写ってる・・・』と、なんとも言えない気持ちになった。たぶんこのモヤモヤの具材は、自分が写り込んでしまっていることに本人は気づいているのか、それとも、気づいていないのかという謎だ。もし、気づいていないのだとしたら、見てはいけない表情だったのではないかと思う。想像だけで良いことはたくさんあるのだ。
いざ私が、自分が撮った写真に対して、そんな見方をされると考えたら、めちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。だから、もしも、キラキラが敷き詰められたショーウィンドウや、オムライスに添えられたスプーンの中や、笑顔の誰かの瞳の中や、向こうから近寄って来る猫の瞳の中に、ニヤニヤした私が写り込んでいることに気付いたとしても、私には秘密にしておいてほしい。
カメラマンがニヤニヤしている。
2020.12.22 Romanticが止まらない
2020年がもうすぐ終わるので、どんな一年だっただろうかと考えました。寝れない一年でした!早押しクイズの答えくらい即答できました。寝れないと行っても物理的に寝る時間が無いとかそういうのじゃありません。
目覚ましを9時間後にセットして布団に入り目をつむります。すると、1人マジカルバナナのはじまりはじまり。そもそもマジカルバナナって知ってますか?
【バナナといったら黄色!黄色といったら信号!信号といったら散歩!散歩といったら猫!】という感じで連想していく遊びです。今、例作ってて思ったんですけど、猫への最短ルートもしかして、これなんじゃない!?
寝れない理由は1人マジカルバナナなのです。私の脳内では言葉やモノや動物や人間が噴水のように溢れて返ってしまうわけなんです。
そして、本当に寝たい私は「ストップストップもうやめて〜!!!」とか頭の中で叫んだりするんですが、その声にエコーがかかり、『Romanticが止まらない』のイントロが流れ始めます。なので、私はすかさず「それでは、お聴きください。C-C-Bで『Romanticが止まらない』」と曲紹介をするのです。みたいな毎日でした。
さすがに毎日同じ曲を流すラジオなんて、リスナーさんに飽きられてしまうので、この習慣を今年中に終わらせたいと思い色々対処方法を考えたんですよ。そしたら、私が寝れないのは枕を使っていないからかもしれないことに気づいたんです。
すぐさま私はニトリに枕を買いに行きました。いろんな枕がありましたが、私は低反発枕を選びました。
しかし、その日の夜枕を使って寝たのですが、起きたら枕が首から外れてるんですよ。それが何日も続いて、あれ?おかしいな?って思ってたんですけど、ある日、枕が足元にあったんですよ。あれは私が、枕が生きてることを確信した日でした。
たしかに、枕ってシロイルカの親戚みたいな雰囲気してるし、ニトリに売られてる時も、壁に設置された棚の上で優雅に泳いでるシロイルカみたいだったなって思い出しました。
枕を使ってるみんな!
枕は生き物です!
多分シロイルカの親戚です!
いつ動き出すかわかりません!
もし動き出したら可愛がってあげてくださいね!
2020.11.22 浮かび上がるオレンジ味とリンゴ味
1日中空いている日がやってくると、私は横浜に行きたくなる。その日もそんな日だった。いつも通る海辺の道には小さなクルージング船が止まっている。何年も前から気になっていたが、チケット売り場には店員さんが立っているので、料金やシステムが合わなかった時に断りずらくなるといということを懸念し、簡易的に作られた海辺の仮設チケット売り場を横目で素通りするだけだった。でも、今日はちょうど店員さんが少し先にある船の中で作業をしており、じっくりと詳細を見ることができた。チケットは1300円、1日に9本くらい運行しており、好きな時間に乗っていいらしい。今日は天気が良いし、ずっと気になっていたし乗ってしまおう!と、決め店員さんが来るのをのんびりと待っていた。
すると突然、3歳くらいの男の子を連れた女性の方に話しかけられた。
「乗ろうと思ってチケット買ったんですけど、、、」
と、話し出した瞬間すぐに、『あ、これ店員さんに間違われて、払い戻しをお願いされるやつだ』と理解した。私にはこういうことがよくあるので、相手の人があまり恥ずかしくならずに笑い話にできるような温度感で、どのタイミングで、どのトーンで「私、店員さんじゃないんですよ〜」を言えば良いかは分かっている。切り出す準備はすぐに万端となっていた。しかし「乗ろうと思ってチケット買ったんですけど、、、」の続きは「この子、船じゃなくて公園に行きたいって言い出したので、このチケットどうぞ」だったのだ。私の頭の中が「私、店員さんじゃないんですよ〜」で埋め尽くされていたせいで、「あ、ありがとうございます…」と小さな声で言うことしか出来なかった。チケット代を渡そうと1300円を差し出したが、男の子と女性は遠慮してすぐに立ち去り、駅へ続く一本道の方へ行ってしまった。
予想外の出来事に呆然と立ち尽くした。1分くらいたった頃だろうか、視界に入った自動販売機が私を現実に引き戻した。
ジュースをあげよう!公園で遊びながら飲める!走って追いかけたら間に合うかもしれない!
自販機に駆け寄ると、豊富な飲み物の中から、なっちゃんのオレンジ味とリンゴ味が浮かび上がって見えた。同じ種類だったら喧嘩にならないだろう!という判断をくだし、まず最初にオレンジ味を押してポケットに入れていたSuicaをかざす。残金が無かった。Suicaの残高はとても重要だと思った。カバンの中から高速で財布を出した。小銭がいっぱい入っていたが数える時間がもったいない。千円札を投入し、オレンジ味を押した。そのままお釣りから百円玉2枚を取り出し、リンゴ味を押し、下に落下してくる間に残りのお釣りを取った。受け取り口に落下したなっちゃん2本を奪い取るように取り出した。
左手にはもらったチケットと小銭とSuica、右手にはなっちゃん2本と絡まったイヤホンを握りしめ、駅へ続く一本道を全力で走った。そして、2人の後ろ姿を見つけた。私はさらに加速し、やっと追いつくことができたのだった。
「これ!公園で!飲んでください!」と、ぜぇぜぇと上がった息でオレンジ味とリンゴ味のなっちゃんを渡した。2人は満面のニコニコで「ありがとうございます」と言ってくださり、私は背中を見送った。
「これ!公園で!飲んでください!」の部分が「私!あなたのことが!好きです!」というセリフだったとしたら、あの満面のニコニコの「ありがとうございます」も全く違う意味になるよなぁ〜あんなに笑ってくれたのに結局どっかへ行っちゃうんだもんな〜エンディング切ないな〜とか考えながら、全力疾走した一本道をダラダラと歩きながら私は再び海辺へと向かった。
2020.10.22 空気人形
先日、『空気人形』という映画を観た。是枝裕和監督の作品だ。
体内が空気で出来ている人形が、ある日心を持ってしまう話だ。「生きている」ってどういうことなのかを、説きもせず、押し付けもせずに気付かせてくれる映画だった。観ている最中も観終わっても涙が止まらず、眠るために目を瞑っても涙が止まらず、でも明日はラジオの収録だからどうにかして寝なきゃと思ってスライムの安眠動画を開いても涙が止まらず、結局一晩中泣き続けた。
スライムの動画を観ている時なんかは、急に幽体離脱したみたいに、天井から自分を見下ろして、「あの人やばい。スライムの動画見ながら号泣している。涙の道理気になりすぎるんだが」って面白くなったりもしたが、それでも泣いていた。
数日後、友達に会った。好きな音楽が同じで、高校の時から会えば延々と音楽の話をしている。私が嬉しいと思った音楽のニュースが、その友達にとっても嬉しいニュースだった。だから、その反対も。
その友達と一緒にいると私はいつも「兄弟」を感じるのだ。だから、ここでは兄弟ということにしてしまおう。
いっぱい話をした。
別れ際、兄弟は「生きていこうぜ」と放ち、ハイタッチに誘ってくれた。「パチン!」鈴の音みたいに響いた。そして私も「生きていこうぜ」とだけ言って去った。
しかし、一人になった途端に私は気付いた。位置をミスって、手のひらで一番痛い部分でハイタッチを受けてしまったことに。電車の中でも、道の上でも、お風呂の中でも手の平のヒリヒリが取れなかった。これは世界で一番、明日に繋がっている痛みであるとすぐに分かった。私は痛みが消えるまで泣いていたような気がする。
涙もろくなったとか、何に対しても泣いてしまう時期とかそういうのではなくて、涙が出てくる出来事が立て続けにやって来るのだ。そして私の身体は、常に大泣きした直後みたいになった。涼しい夜なんかは、肺のトンネルを冷たい風が通っていくのを感じる。肺が空っぽなのだ。
どうやら私は空気人間になりつつある。
2020.09.22 2020年スズセミの乱
私はこの世に生まれてからほぼ毎日寝ているはずだ。しかし、ここ最近寝る能力が退化してきている。なぜだ?なぜなんだ?謎すぎる、、、
「毎日やってることなら得意であれ!」と大海原に向かって叫びたいところである。
夜、布団に入り目を閉じるが、ひとりごとを頭の中で話しているうちに月と太陽が入れ替わっていく。ひとりごとを話さなければ良いのではないかと思ったが、順番的には眠りに落ちていかないことによって出来る暇をつぶすためにどうやら私は話し始めているみたいだ。いつもならば、ひとりごとにも力尽きた朝、知らないうちに寝ているのだが今年の夏はそう簡単にはいかなかった。
力尽きて眠りに落ちるタイミングで蝉が鳴きはじめるのである。蝉は私のことが嫌いなのかもしれないとへこむくらい、毎日ベストなタイミングで鳴き始めるのだ。こんな嫌がらせを受け続けていたせいで、季節が秋へ向かっていくにつれ、私はなんとか蝉が鳴き始める前に眠りにつけるようになっていった。そんな習慣がすぐさま無駄になるなんて、あの頃の私は思ってもいなかった。
ある日、夜眠りに落ちる瞬間、何者かが鳴きはじめたのである。この声の主は鈴虫だ。そして、私は再び夜眠ることが出来なくなった。「真夏のピークも去り、蝉も姿を消したことだろう。鈴虫が鳴き止んでから眠ればいいか。」私はそう思った。そして、鈴虫が鳴き終わった明け方、彼らは何食わぬ顔で鳴き始めたのであった。真夏と同じように。私の考えは甘かった。
しかし、これは私だけの問題では収まらない一大事であることに気づいてしまったのだ。
鈴虫が鳴き疲れて休みたい明け方に蝉が鳴き始めるため、鈴虫はゆっくり休めない。そして、蝉が鳴く前に集中したい夜中に鈴虫が鳴くから、蝉は集中できないのだ。鈴虫と蝉はお互い、不満が溜まっているに違いない。双方どちらかが怒りを爆発させてしまえば、どちらかの種が絶滅してしまうレベルの取り返しのつかない事態となる。虫界隈の教科書に【2020年:スズセミの乱】と載ってしまうだろう。
もうしばらくの間、私は寝ることができない。
鈴虫と蝉が喧嘩を始めないよう、見張っていなければいけないから。
2020.08.22 てるてる坊主のキーホルダー
先日、電車の向かいに高校生が座った。カバンにてるてる坊主がぶら下がっていた。てるてる坊主を目撃するのは久しぶりだった。というか、てるてる坊主と外で会うのは人生で初めてだったかもしれない。
てるてる坊主というのは、晴れて欲しい日の前日に急遽仕事を依頼され、短期集中型いわゆる徹夜で結果を出すタイプだと思っていた。しかし、キーホルダーとなるとほぼ毎日仕事をしなければならない。ただでさえ毎日働くのは大変なのにも関わらず、本人の生まれ持った性質と比べてもかなりハードな毎日を送っているのではないかととても心配になった。私はてるてる坊主が疲弊していないか、様子を見た。目が合った。ニッコリと笑っていた。かなり、楽しそうだ。すると、私がてるてる坊主と意思疎通を図っていたのがバレたのか、高校生も私の目を見て、ニッコリと笑った。この2人、同じ笑顔をしている。どうやら、長い付き合いっぽい。電車の窓に映った私もニッコリと笑っているではないか。晴れだ。これがてるてる坊主の力か・・・
高校生のカバンにぶら下げられた初日、てるてる坊主は絶望したかもしれない。『ずっと仕事の地獄の毎日が始まる。』と思ったに違いない。しかし、いつの間にかてるてる坊主には仕事という感覚が無くなっていった。高校生と過ごす日々が楽しいと感じるようになっていたのだ。
でも、忘れられない大げんかをしたこともあったらしい。小さな言い合いが発端となり、高校生はてるてる坊主に対し、「本当は曇りの日の方が好きだから!」と、暴言を吐くために嘘をついてしまったのだ。その日、てるてる坊主は人生で初めて涙の大雨を降らしたのだった。私がてるてる坊主だったら、そんなこと言われたら立ち直れないが、許しあえるほど絆は深かったと言う。
そんな日々を乗り越え、繰り返し、今や2人は相棒だ。
きっとあの人の頭上付近はいつも晴れているに違いない。私もてるてる坊主のキーホルダーを付けたら、私の頭上付近は毎日晴れになるのだろう。しかし、それは決して簡単なことではない。てるてる坊主との人間関係が良好であればの話だ。
2020.07.22 謎の呪文
『7月2日未明に関東上空で月よりも明るい火球が流れた。数分後には室内にいても聞こえる轟音が鳴り響いたのであった』
私はずっと爆睡していた。なので、気づかなかった。起床後に携帯を見ると、「隕石が落下した!」とか「大きい音がして目が覚めた」とか色々な人が言っていた。こういう時に限って何故、目が覚めないんだろうか。私は隕石が生み出した声を聞けなかったのだ。あの隕石もきっと落下するのは最初で最後だったんだろう。隕石本人と一緒にびっくりしたかった。隕石と記憶が共有できたみんなが羨ましい。
そんなことを思いながら、私は千葉のbayfmに向かった。今日は「にゃんぞぬデシの鳴き語り」の収録日だ。
鳴き語りで一番緊張していることは、リスナーさんのお便りから毎週新曲を披露することでも、お便りに対して即興で作曲することでも、自分の曲をギターで弾き語りすることでもなく、謎の呪文を叫ぶことである。謎の呪文というのは、番組の最後に叫ぶセリフで、私が良いと思ったリズムやイメージで言葉を組み合わせたものである。例えば、スリッパプリンターや、オクラ三点倒立、スルメルーキーなどがある。
しかし、今日はなんと、その謎の呪文を考えてくるのを忘れていた。やばい。スタジオに到着し、謎の呪文を考えながら、ふと窓の外に目をやった。綺麗な夕焼け空だ。そして、太陽が2つ。いや、これって普通じゃないですよね?あまりにも当たり前のような態度だから、私がおかしいみたいだ。bayfmのスタジオはビルの上の方にあり、窓からは千葉の海と千葉の街が一望できてとても見晴らしが良いのである。だから、あの太陽は見間違いでもなんでもなく鮮明に太陽が2つあるのだ。
そして、私の頭で繋がってしまったのだ。
昨夜未明に隕石が落下、そして、夕焼け空に現れた2つの太陽。
うん。これは、太陽が沈む時、地球が終わるということか。
でも、私は幸せ者だ。
だって今までずっと夢だった自分のラジオ番組の収録をして、みんながいっぱいお便りを送ってくれて、、、
いや、でもちょっと待ってくれ。謎の呪文がまだ決まっていない。
だんだんと、(2つの)太陽が地平線に吸い込まれていく。やばい!このままだと謎の呪文が完成しないまま地球が終わってしまう。
トランポリンだ!なんとなくトランポリンという単語を使おう!何を組み合わせたら良いだろう。
トランポリン◯◯・◯◯トランポリン
いくらあてはめてもピンとこない。
(2つの)太陽が沈むまであと30秒というところだろうか。タンバリンだ!タンバリンをくっつけよう!トランポリンタンバリン!いや、逆の方が良い!タンバリントランポ…
2020.06.22 6月は落とし穴に落ちる。
先日歩いていたら、急に自分の左と右の足が絡まりました。その瞬間、私にはコケる選択肢しかないのだと悟りました。そして、落とし穴に落ちたかのように大転倒ダイブを決めたのでした。私の目の前には巨大化したアリ達が散歩していました。こんにちは!
手の平と、2つの膝小僧と、ズボンを擦りむきました。
膝小僧に絆創膏を貼っている子供を見ると、痛くて泣いたけど、頑張って立ち上がって、お風呂場でしみるけどその度に歯を食いしばったんだなっていうバックグラウンドを想像して、偉いなぁって感動しちゃいますよね。私だって!転んで痛かったけど泣くの我慢して、頑張って立ち上がって、お風呂場ですごいしみて毎日歯を食いしばってたのに!偉いなぁって思ってくれる人絶対いないじゃん!子供も大人も同じ命なのにさ!そうやって!尊さに差をつけるんですよね!って思ったんですけど、膝小僧に絆創膏貼ってる大人の人、あんまり見たことなかったです。勝手にキレてごめんなさい。
そして、私は2019年の6月にも大転倒ダイブを決めているのです。駅の改札を通っていたら、誰かが投げ捨てたゴミに足を滑らせ、しりもちを付き、着ていた服がビリビリに破けました。あの時は公園に歌いに行く直前だったので、ギターを背負いながら、破けた服の中が見えないように手で持ち、繁華街を駆け抜け、いつもなら絶対に買わないであろう新しい服に着替え、公園にたどり着く頃にはロールプレイングゲームの主役になっていました。あの日から落とし穴を避けるために改札を通過するときは大股で歩くようにしています。
私は6月が怖くなっていきました。今日が6月22日ということは、6月にはまだ8日間も残されているんですよね。その間にまた何かしらの落とし穴に落ちるような気がして仕方がないのです。
しかし、あることに気づいたのです。
2019年の大転倒日も2020年の大転倒日も、久しぶりにサンダルを履いていたということに。
これは、久しぶりのサンダルに履き慣れていないという単純な転びやすい理由と共に、あることを浮かび上がらせました。
6月は梅雨がやってきます。梅雨と命名された期間の中で、雨ばかり降り続く日々の中で、サンダルを履ける天気が訪れた日には嬉しくてしょうがないのです。
すなわち浮かれているんです!!!
私はもうこんな6月を繰り返さない。
私は優しい6月を生きたい。
2020.05.22 チャンプルー達
『フライパン』と思い浮かべた時、私の頭にはある映像が流れる。料理の最中にフライパンを手に持ち、ダンスの振り付けかの如く手首をフリフリしながら炒める動作である。
あれ、とてもかっこいい。しかし私は一度もやったことがなかった。フリフリしている途中に、フライパンの中の熱々な食材たちが自分に飛びかかってくるのではないか、という恐怖が私の憧れを止めていたのである。
しかし、なんか今日はできる気がする!先日、ゴーヤチャンプルを作っていた際に急に思った。理由は見つからなかった。「なんか今日はできる気がする。」そういう感情が人生を大きく左右するのであろう。そして、念願のフリフリに挑戦してみたのである。
なんだ、これは、めちゃくちゃ楽しい。フリフリしてる自分も踊っているけど、フライパンの上でタマゴ・もやし・豚肉・人参・豆腐たちも踊っている!みんなと一緒にいる!今日はパーティだ!私のノリノリは止まることがなかった。次の瞬間までは。
突然、左の眼球にタマゴと見られる破片がクリーンヒットしたのであった。私はガスコンロの火を消し、すぐさま氷で目を冷やした。タマゴは、はしゃぎすぎてしまったようだ。青ざめて、冷や汗をかいている。みんなあんなにノリノリだったのに、タマゴが羽目を外しすぎたせいで、チャンプルー達の間には気まずい空気流れている。私の眼球に飛び込んできたのはタマゴとはいえ、避けれなかった私も悪い。なんだか変な空気にしてしまって申し訳ない。
冷やし始めて数分が経過したところで、おそるおそる目を開けてみると、何も異常は無さそうだった。ただネットで調べてみたところ、何回もこのような事が起こると次第に傷がついてしまうらしいので、みんなも気をつけてね。そして、私は決めた。フライパンフリフリダンスはもう二度としない。そう決めたのにもかかわらず、私はその日から炒める事に対して恐怖を覚えた。料理をするときはメガネを装着することにした。メガネをしていればはしゃぎすぎた食材が眼球に飛び込む心配はない。
私は普段、メガネをかけていないので料理をするときだけメガネをかけるとなると、「うわっヒーローの変身ベルト的なスイッチが入った」とか自信満々に思われたりするかもな。嫌だな。でも、良いんです。あの気まずい空気を作ってしまうという、背筋が凍る恐怖とは決別できたのだから。
こうして、チャンプルー達に平和が訪れたのであった。
2020.04.22 文通はじめました。
私は好きな人々に会って話すことが好きです。しかし、コロナウイルスの影響で人に会えない世の中になってしまいました。この場に及んで楽しそうに遊びに出かけている人々を稀に目にすると、あぁあの人たちはあんなに楽しそうにしているけど、お互いのことを大切にしてない人同士なんだな〜悲しいな〜とか思ってしまいますね。
でも、どうにかして好きな人々に会って話したい。そんな悩みを抱えていた私にイナズマのような衝動がいきなり襲ってきたのでした。
「文通したい!」「今すぐに文通がしたい!」
そして、気付きました。
「誰の住所も知らない!!!」
手紙っていきなり送ったり届いたりしてノスタルジック割増なイメージがあったんですが、現代って住所を交換する機会が無いから、なかなかイメージ通りにはならなそうですね。
困った私は何名かの友達に聞くことにしました。
「私と文通してくださる方いたら住所教えてくれませんか?」と。
ノスタルジックは消滅したものの、すぐに1人の友達が「手紙書くの好きだから、文通しよう!」と言ってくれました。
私は財布を無くしたことに気づき、家の中を探し回っている時と同じ勢いで、好きな便箋と好きな書き心地のペンをテーブルに用意し、一瞬で手紙を書き終えました。
文通はとても良いです。手紙を書いている最中、ポストに投函する瞬間、返事を待っている時間ずっと楽しいです。
質問を書いてもすぐに答えが帰ってこないので、相手はどんな気持ちなのだろう、どんなことを言うのだろうかと想像できる面積がとにかく広大です。
文通って時空を超えて会っているのと同じなんじゃないかと思います。
文通をするのは小学生ぶりなのですが、あまりにも感動したので何がそんなに良いと思ったのか分析してみました。
仕事上の会話ではなくいわゆる雑談について、普段から私が思っていることが深く関わっているのだと思います。余談なんですが人と人の心は雑談で繋がって行くものなのに雑な談と書いて雑談っていつも納得行かないんですよね。
雑談には大きく2種類にわけられると思っています。まず1つ目はリアルタイム雑談。実際に会ってする会話や通話を用いた雑談です。
私はリアルタイム雑談で自分のターンが来た時「あれ、私自分の話し長すぎなんじゃないか?」と不安になりエピソードをショートバージョンにしたりすることが多々あります。
そして、2つ目にタイムフリー雑談(タイムフリーとはラジオが無料で聴けるアプリradikoで過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことのできる機能です。にゃんぞぬデシのラジオ番組が始まったので聴いてください。bayfmにて毎週月曜深夜3時からです)。LINEやメール、SNSなどで文章を用いた雑談です。
タイムフリー雑談は直接話していれば普通の情報量なのに文にしてみると、「これ絶対長っ!って思われるじゃん」と不安になり送信前に打ち込んだ文章を最大80%オフくらいにすることが多々あります。
しかし、手紙というものは自分が送るターンで自分のことを書き連ねるものであり、そもそも「文章を書く」というツールなのでLINEのようにできるだけ短くしなければならないという暗黙のプレッシャーを感じることはありません。
したがって文通はリアルタイム雑談とタイムフリー雑談で感じている不安を考える必要がないのです。だから、私はこんなにも文通に感動していたんですね。
友達への手紙をポストに投函してから1ヶ月程経ちました。
返事はまだ来ません。
でもぜんぜん良いんです。
なぜなら、自分の家のポストを開けるたびに「返事来たかな〜」と、ワクワク出来るから。
そして、その友達が貸してくれたCDを私は4年間返していないから。
2020.03.22 浦島さんについて
浦島さんが可哀想だということに気づいたのは、散歩中の猫を尾行している最中でした。
浦島太郎という昔ばなしがある。
ある日、浦島さんは海岸で亀が人間にイジメられていたところを発見し、その亀を助ける。後日、亀が浦島さんの所へやって来て、恩返しをすると宣言。海の中にある竜宮城へ浦島さんを連れて行き、豪華な踊りや食事を提供するのであった。夢のような日々を満喫した浦島さんは地元へ戻ることを決意。すると帰り際、竜宮城サイドの者に小さな箱を渡されることとなる。そして、「この箱は絶対に開けてはいけません。」と言われるのであった。しかし、地元に帰った浦島さんの目の前には知らない景色が広がっていた。なんと、そこは何年も経ったあとの世界だったのである。浦島さんは悲しくなって玉手箱を開封する。すると、おじいさんに大変身を遂げたのであった!
簡潔にこんな感じである。
私、この話に対して納得いかない点ばかりである。
まず、浦島さん!恩返しに来た亀にすぐ付いていくのはおかしい。「あ!ちょっとみんなに確認してくるので、数時間後にここで待ち合わせでも良いですか?所要時間はどれくらいですか?」という会話があるべきである。
そして、竜宮城サイドの者!
浦島さんを竜宮城に連行する前に、「時の経過が凄まじく早い」ということをなぜちゃんと伝えないんですか?
2つ目に、玉手箱をもらった際「なんで、開けてはいけないんですか?」と理由を聞くべきである。それを聞き出すまでもらってはいけない。というか、普通に気になりますよね?浦島さんは気にならなかったんでしょうか?浦島さんは何が入ってると思ったんですか?ちゃんとした説明もなく引き受けるなんて、良くないですよ!
しかも、もしも浦島さんがノリが良い人だった場合「開けちゃダメですよ!」っていうセリフが「絶対に開けて!」っていうフリかと思うかもしれないじゃないですか!浦島さんがダチョウ倶楽部さんの一員だったなら、どうするんですか!
3つ目に浦島さんのような被害者は浦島さん1人だけではないはずなのである。なぜなら、竜宮城サイドの者はなぜ人間が喜ぶおもてなしを続々とすることができるのか?という疑問が発生してくるからだ。どうやったら、人間が喜ぶのかを研究に研究を重ねてきた行動としか思えない。そうなってきた場合、浦島さんには何人かの玉手箱仲間がいるということになるんですよ。浦島さんはひとりぼっちではない。玉手箱を開ける前にそのことに気づいていれば、すぐにおじいさんにならなくて済んだかもしれないのです。しかし、そうなってくるとなぜ竜宮城サイドは人間が喜ぶ研究をしているのか?という疑問も発生するのだが、この疑問で全てが繋がるのだ。
竜宮城サイドは人間を征服するために、人間を研究している闇の組織なのだ。浦島さんが亀を助けていたのを偶然目撃した竜宮城サイドは「この人間ならば、自然に竜宮城に連れ込み研究対象にすることができる」と閃き、浦島さんが助けた亀を装って竜宮城に誘い込んだと考えられる。「海の中に一緒に行きませんか?」といういきなりの誘いに乗ってくれる人などいないだろう。
人間を幸福に漬け込みいずれは人間を征服しようと試みている。なんて恐ろしいのだろうか。みんなも竜宮城サイドには気をつけなければならない。
知らない人について行ってはいけないのは絶対的な常識だが、この浦島太郎という物語からはたとえそれがかわいい動物でも付いて行ってはいけない!ということを学ぶことができる。
もし、そうだとしても、騙されたとしても、私は散歩中の猫に一生ついて行く。
2020.02.22 なんでそんなことが言えるんですか??
普通に道を歩いていたら、突然「邪魔だ!どけ!」という言葉が聞こえてきたんです。聞こえてきたというより、右耳ダイレクトに侵入してきたという方が正しいかもしれない。その人は私の後ろから歩いてきて、私の右側を追い越し、ご丁寧に追い越す際に一瞬だけ横並びになる瞬間ジャストに耳元で怒鳴ってきたのでした。
普通に道を歩いているだけの人に、なんでそんなことが言えるんですか??人を追い越す際にどれだけ横並びになる瞬間ジャストに怒鳴ることができるか、という競技があったら金メダル取れると思います。おめでとうございます。そして、衝撃のラスト。私の肩にわざとドーーーンとぶつかり、満足気に前を歩いて行ったのでした。
私はとても嫌な気持ちになりました。もうこれ以上右耳に怒鳴り声を侵入させないために、右耳専属のSPを雇うことも考えました。しかし、そんなことをしてもこの嫌な気持ちはもう消えないのです。なので私はその人が裸の心になってしまっている瞬間をいくつも妄想して復讐することにしようと決めました。裸の心になっている時が、一番人間が弱い時だと思うんですよ。想像するととってもスッキリしますので、皆さまも誰かに嫌なことをされたら試してみてください。
あの人にもきっと好きな食べ物があるはずです。麻婆豆腐が好物だと仮定してみましょう。あの人の目の前に、光り輝く麻婆豆腐がやって来ました。「美味しそうだなぁ」と、瞳を輝かせて箸ですくい上げた一口目を食べる直前です。裸の心です。
あの人にもきっと好きな人が出来たことがあるのでしょう。今日こそ思いを伝えようとラブレターを書いたのだと仮定してみましょう。ラブレターを渡したら、まさかの両思いということが発覚したのです。夢を見ているんじゃないかと、携帯のカレンダーをチェックするのです。夢じゃない!現実だ!そうわかった瞬間、生きていて良かったと思います。裸の心です。
あの人にもきっと好きな動物がいることでしょう。猫が好きな動物であると仮定してみましょう。茶トラの猫がいきなり足元に擦り寄って来たと仮定してみましょう。うわぁ!なんてかわいいんだぁ!モフモフだぁ!なでなでしよう!なでなでする直前、とってもニヤニヤな表情をしていますね。はい。裸の心です。
復讐を通り越して、猫に好かれているのが羨ましくなって来てしまったので、ここらへんでやめました。
私はこの一連のエピソードを友達に話したんですが、その時友達が素敵な言葉を放ったんです。私は裸の心になっていました。
「その嫌な記憶を忘れるくらいに、今からすごい楽しいことをしよう!」
なんでそんなことが言えるんですか!!
2020.01.22 目玉焼きトースト
商店街は、夜になる寸前だった。かすかに残る夕焼けのオレンジと共に、家路につく人々でいっぱいだ。ここは私が高校生の頃、よく散歩していた通りで、美味しいお店が軒を連ねている。高校を卒業してからは一回も行けていなかったのだが、今日は偶然この辺で用事があったのだ。
私が待ち合わせよりも1時間早く駅に向かったのには理由があった。「好きなパン屋さんの一番好きなパン・目玉焼きトーストをゲットする」という、とても大きな理由だ。別に、すぐに売り切れてしまうような人気商品なわけではないのだけれど、なぜか心が急いだのだった。
最寄駅に降り立ち、高校生時代を思い出した。というか、商店街サイドが私に思い出させてきたと言うのが正しい。
放課後よく1人で来てたなぁ…
一緒に散歩してくれた友達もいたなぁ…
あの友達元気かなぁ…
うわぁぁいつも行っていたCD屋さんが洋服屋さんに変わってしまっている…
しかし、私の頭に暮らしている正義感強めでどちらかというと無神経よりのキャラがすぐさまこう言った。「懐かしむのは目玉焼きトーストを無事にゲットしてからで十分だ。」と。承知いたしました。
そうして、私はパン屋さんにたどり着いた。店内に入った瞬間、わざわざ1時間早くここにやって来た自分を讃えるべき光景が広がっていた。目玉焼きトーストがラスト1つだ!!!!
よかった。本当に良かった。よりによってラスト2つとかじゃなくて、ラスト1つなところが余計に良い。私に買ってもらうのを待ちわびていたんだな。私はこの上なく幸せ者だ。
厚めの食パン・こんがりと焦げた優しい茶色・スターオーラを四方八方に放つ目玉焼き・半熟の黄身・目玉焼きの下で恥ずかしそうに隠れているハム。これは奇跡の再会である。
私はこの幸せを噛みしめるように目玉焼きトーストへ、トングを伸ばした。するとその時、4歳くらいの子供が親御さんにこう言った。「ミキちゃんやっぱりこれにする」
ミキちゃんは人差し指でとあるパンを指していた。そう、それは私のトングの先が触れている目玉焼きトースト。
空気が固まった。
私と、ミキちゃんの親御さんの身体が固まった。おそらく、目玉焼きトーストの半熟の黄身も少し固くなったことだろう。
親御さんは私に気を使っているのだろうか。「ミキちゃんはさっきチョココロネって決めたんだから!それ買うならチョココロネ無しだよ!わかって言っているの!」と、ミキちゃんを説得していた。
私も心の中で同調した。そうだ!そうだ!わかって言っているのか!ミキちゃんよ!目玉焼きトーストよりチョココロネの方がいいぞ!ミキちゃんはチョココロネのCMやってそうなくらいチョココロネが似合っているぞ!
しかし、ミキちゃんの気持ちは揺るがなかった。「ミキちゃんぜったいこれがいい!」
ニャンゾヌちゃんもぜったいにぜったにぜったいにぜったいにこれがいいのに、、、
私は目玉焼きトーストに触れたままだったトングをゆっくりと、ゆっくりと外した。みきちゃんに譲ってあげようという気持ち30パーセント、ここで譲ってあげたら自分にすごい良いことが起きるだろうという気持ち70パーセントだった。
こんなに邪念があるのに何故、みきちゃんの話を聞いていないふりをして掴んだままの目玉焼きトーストを自分のトレイの上に載せれなかったのか、、、矛盾している。というか、邪念が大量な自分に落ち込む。
しかし、できなかった。
私は結婚式で突如入って来て「やっぱり私と結婚してほしい!」と言えるくらいのすごい人間に憧れているのに。奇跡の出会いが木っ端微塵に砕け散ることもあるんだな。
私はミキちゃん親子がお店から出たのを確認して、チョココロネを買って帰った。
2019.12.22 にゃんぞぬな日々2019
先日とてつもなく腹が立つことがあった。この苛立ちを収束させるためには、今自分が1番欲しいものを買わなくてはいけないと悟った。いつもよりも力強く地面を踏み殺し歩きながら、私は電気屋さんに向かった。あまりに颯爽と勢いよく店内に入ったものだから、店員さんはみんな『お、この人100インチのテレビを買いに来たんだな』とか『お、この人良質な木材から造られた高級スピーカーを買いに来たんだな』とか思ったことだろう。
そんな風に心を透視しながら、私は店員さんに商品の取り扱いを訪ねた。「こたつのケーブルってありますか?」と。
すると、店員さんが商品を持ってきてくださった。在庫がラスト一つだったそうだ。よかった。これで、『さっき売れちゃったばっかりなんですよ』とか言われていたら苛立ちが爆発してしまい、100インチのテレビを買っていたかもしれない。もちろん借金をして。私はすぐにこたつケーブルを購入することにした。レジに向かい、店員さんがバーコードをピッと読み込んだ。「お会計が550円です!」
店員さんへ。あんなに颯爽と勢いよく店内に入った客なのに、期待を裏切るようで申し訳ございません。
そして、私はこの文章をこたつに入りながら書いている。2019年もあと少しとなったということで、今年もリアルにゃんぞぬな日々をまとめてみようと思う。
1月1日
ラジオ
三四郎のオールナイトニッポン2019新春初笑いスぺシャルに生出演する。
※三四郎さんは、私が高校生の時に決めた「生きているうちに会いたい5組」のうちの1組だったので夢が叶いました。
1月14日
本物の成人式の日にワンマンライブをする。@渋谷eggman
3月10日
ラジオ
文化放送初出演
『志の輔ラジオ 落語DEデート』
3月24日
にゃんぞぬデシ企画開催 師匠降臨vol.5 師匠:中村千尋さん
4月6日
福島県
フェスティバル
飯坂温泉ミュージックフェスティバル『おと酔いウォーク2019』に出演する。
4月14日
兵庫県
フェスティバル
神戸トアロードアコースティックフェスティバル2019に出演する。
5月6日
フェスティバル
ハグロックフェスティバルGWに出演する。
6月1日
愛知県
フェスティバル
サカエスプリング2019に出演する。
6月14日
梅雨にワンマンライブを開催する。@渋谷eggman
7月12日
ドラマのオープニング曲を初めて担当する。
テレビ東京ドラマ24『Iターン』
OP曲:にゃんぞぬデシ『勘違い心拍数』
7月18日
ラジオ
安東弘樹さんのニッポン放送『DAYS』に出演する。
7月31日
ラジオ
FMヨコハマに初出演する。
にゃんぞぬデシが小6の時に初めて聴いたラジオ番組『Tresen』
8月1日
ラジオ
TBSラジオ『ハライチのターン』でハライチ岩井さんにお誕生日ソングを作らせていただく。
8月4日
ワンマンライブを開催する。
にゃんぞぬデシ誕生日
スペシャルゲスト:斉藤ネコさんと演奏する。@晴れたら空に豆まいて
8月8日
ラジオ
ラジオ界のホームbayfm『ON8+1』に出演する。
8月10日
『勘違い心拍数』配信リリースする。
8月16日
『勘違い心拍数』MVを公開する。
8月18日
フェスティバル
ジェイハグロック2019に出演する。
8月19日〜8月22日
『勘違い心拍数』をみんなに広めるために大阪・名古屋・福島・仙台へ旅に出る。
8月24日
雑誌『anan』にインタビューが載る。星野源さんが表紙の。
8月26日
ラジオ
NACK5に初出演する。
キラメキ ミュージック スター『キラスタ』
8月31日
ラジオ
ラジオ日本「Harmonic Groove!!」に出演する。
9月14日
兵庫県
フェスティバル
あいちトリエンナーレに出演する。
11月22日
ワンマンライブを開催する。
ネコの集会〜下北沢でいい猫フェスタ〜@下北沢ガーデン
12月7日
フェスティバル
『下北沢にて』初出演
12月31日
何かがあります。
お楽しみに。
そんな、にゃんぞぬデシは2020年5月29日(金)に渋谷WWW Xで史上最大規模のワンマンライブを開催します。物理的に大丈夫だったら絶対遊びに来てください。
ラジオ番組をやるのが目標です。
以上リアルにゃんぞぬな日々2019でした。
こんなに長い間、今年を振り返り文章を書いているのに全く寒くないのである。なぜなら私はこたつの中に入っているからである。
どうやら2019年はこたつのすごさを知った年だったようだ。
2019.11.22 私、熱が出ると虫の気持ちになる。
高校生の時『虫の子』という曲をつくった。誤って家の中に入ってきてしまった虫が主人公である。ライトの光を太陽の光だと思い電球の裏に飛び込む。そこから出ることができずにそのまま死んでしまうという歌である。
私は先日熱を出した。ふらふらとした身体、朦朧とした視界。機械のように私はみかんを食べていた。
「いま虫が家にいたら、この捨ててしまうみかんの皮に対して美味しい、良い色、暖色温かい、ちょっとすっぱいとか感じてくれるんだろうな。」とだけ思った。そこで、気づいたのだった。
『私、熱が出ると虫の気持ちになる。』
そんなことが発覚した矢先、友人の家でご飯を食べている際、大きな蚊が私の右手に止まった。
「そこはあなたのチェアーではない」と冷淡な口調で、かつなぜか椅子を英語で言いたくなるほど、羽を休めてくつろいでいる感が漂っていた。
いつもならば、虫がついていることを知った瞬間に身体をパタパタとさせ、本能的な遠心力を発揮する私が蚊のノリに流されていた。
だから友人も冷静に「ティッシュ?それとも手で叩く?」と聞いてきたのであった。
蚊からすれば恐怖でたまらない。己の生死に関与する作戦会議を目の前で開かれているのと同然である。虫の気持ちに的にこれは確実に逃げるべきであるのだ。しかし、蚊はまだ私の右手に座っていた。
良かったぁぁ逃げられなくて。
いや、しかしこれは蚊が人間の言葉がわからないということが完全に証明されてしまったということなのではないだろうか??!
そうなってくると、『私、熱が出ると虫の気持ちになる。』のやつも、『私、熱が出ても虫の気持ちになれない。』に逆転してしまうのではないか? なぜならば、私が彼らの気持ちを考える上で言葉は不可欠なものであったからだ。
だから、これらを踏まえて考え直してみよう。この蚊が思っていたことはこういう感じだろう。
「食料」「食料」「食料」「食料」「食料」
おそらく、蚊からすれば人間も人間以外の動物も同じように見えているんだろうな。だってよく猫とか犬も刺されているの見るから。蚊の目線って平等でいいな。
私の前世は恐らく虫だ。
『私、熱が出なくても虫の気持ちになる。』
2019.10.22 ブルートゥース先生
最近Bluetoothのイヤホンを購入した。買った理由は、私の携帯にはイヤホンジャックが付いていないため有線イヤホンに接続するためには短い接続端子を使用しなければならないのだが、その端子をすぐに断線させてしまう日々から卒業したいと思ったからである。悪く言えば環境からの逃げなのかもしれないが、全く悪いことではない。時々、そう言う人もいるだろう。しかし、それを飲み込んでいては相手の思うツボなのである。
そんなことを思いながら、イヤホンが断線しているため音楽を脳内再生しかできずに歩いていた矢先に、格安1000円弱のBluetoothイヤホンを発見したのであった。最初だったので音質や性能にはこだわらず、すぐに購入した。
帰宅してすぐ取り扱い説明書を読み、携帯とイヤホンをBluetoothで接続した。
「Your headset is connected.」うぉぉ喋った。イヤホンが喋った。なんか嬉しい。
つけてみたところ音質は悪い。とても悪い。しかし、なんとこのイヤホン、音楽もラジオもにゃんぞぬデシのYouTubeですら聴きながら充電ができるのである。そして、なんとこのイヤホン、音楽もラジオもにゃんぞぬデシのYouTubeですら聴きながら動き回れる。このイヤホンのおかげで部屋が片付いた。
そして、奇跡が起こった。何気なくイヤホンに付いているボタンを長押ししてみると次の曲に飛ばせたのである。取り扱い説明書には「次の曲に飛ばす機能は付いていません。本体で操作してください。」とはっきり記されているのにである。
この嬉しさを与えるためにそう書いたんだろうか。なんて、エンターテイメントなイヤホンなんだ。こうして、私の中でただのBluetoothイヤホンだったあなたは恩師ブルートゥース先生へと変わっていったのであった。
以下は私がブルートゥース先生の元から卒業する時が来てしまった日、ゴミ箱に入れる前に読もうと決めている謝辞の一部である。
ブルートゥース先生は片付けまでさせてくれて、生き方まで教えてくださった私の恩師です。誰かや自分が思ってしまった「できない」に決め付けられるのではなく、ノリでもいいからやってみるということの大事さを学びました。また、できないと思いつつもやってみてできた時の喜びは素晴らしいことを知りました。だから私はできないと思いながらも色々なことに挑戦していこうと決めました。私の目標はブルートゥース先生のようにエンターテイメントな人生を送ることです。今までありがとうございました。THE END
ブルートゥース先生からの卒業を出来るだけ遠い未来にするために、私は気をつけなければならないのであった。その頃にはきっと「Your headset is connected.」という発音だけが得意になっていることだろう。
2019.09.22 反比例生活
私には昔からベストセラー作家である、ジェーンさんという知り合いがいる。
あれは7日前だった。ジェーンさんから突然、「あなたに私の豪邸を譲り渡すことにした」という電話がかかって来たのであった。私は状況が理解できなかったが、ジェーンさんによるとベストセラーになった本の着想をなんと、この私が与えていたというのである。だから恩を返したいらしいのだ。
いくらなんでもと思った。しかし、私は好意を拒むのは苦手なのである。例えば、「ガム食べる?」と差し出したのに対し「いらない」という光景を見るとなんだか切なくなる。「いらない」と言った対象がガムそのものではなく、「あなたにガムをあげよう」と思った気持ちに向けられているように感じてしまうからだ。実際そうではないとしても。だから私は引き受けることにした。ガム1粒と豪邸が同一線上で比較された瞬間である。
早速私は豪邸へと向かった。家に入ると外にいた白い猫も一緒に入って来た。「にゃんすけ」という名前が似合う。いっしょに暮らすことにした。
豪邸は12LDKくらいあるのだが、ジェーンさんが使っていなかった部屋が多く、リビング以外は蜘蛛の巣が張り巡らされていたり、床が壊れていたりする部屋ばかりである。
私は大切なジェーンさんに貰ったこの豪邸のすべての部屋をリフォームしようと決心した。しかし、そのためにはリフォームをするためのお金が必要である。しかし、お金を稼ぐためには次々とステージをクリアしていかなければいけない。目の前には赤、黄色、水色、緑とカラフルなブロックが敷き詰められている。同じ色を3個以上並べるとブロックを消すことができるのだ。私は一刻も早くリフォームをしたいという使命感にかられ永久的にお金を稼いでいるのである。1回ではクリアできないステージもあるが何回も何回も挑戦していくと想定外のミラクル連鎖によりクリアすることができる。そうして今まで128個ものステージをクリアして来たのであった。
ふと、窓の隙間から聴こえ始めた鈴虫の歌声に別世界に連れて行かれてしまった。いつもこういうことは突然だ。ジェーンさんなんて知らないし、豪邸も貰っていないし、新しい家具も届いていないし、猫もいないし、お金も溜まっていなかった。
積み上げたものといえば洗濯物の山である。鈴虫が歌いだす前からそんなことはわかっていた。低気圧で頭が痛い。夏は過ぎ去って冬に進んでいく。街に出れば、SNSの海に出れば、楽しそうな人ばかりが目に入る。
だからこそ私は、この〝反比例生活〟を繰り返すのであった。
2019.08.22 カナブンの味方
休日、昼の浮かれた人々がよく目立つガヤガヤ号とは裏腹に、夜10時の電車はガラガラであった。祭りに行ったわけでもないのに、祭りのあとのような気持ちになる。私は椅子に吸い込まれるように腰をかけ、電車の出発を待っていた。
すると、出発時間ギリギリに駆け込む男女が1組私の目の前に座ってきた。手を繋いでいる。この2人にはラブラブという言葉がよく似合う。しかし、このあと軽はずみな言葉が火を灯し、爆発するかもしれない。数時間後には泣いているかもしれない。などという一寸先の闇を考える時間など2人には用意されていない様子である。
私は電車の中に貼られた広告を見るふりをして、2人のことを見つめていた。すると、女性が男性の肩に頭を置いた。よく見る光景だが、異なる点が1つだけあった。女性が目を見開いているのである。眼差しが前方に向けられているのである。女性の黒目の中心から真っ直ぐに線を引いたのならば私の黒目の中心に到達する。目の前に人が座っているのだから、目の前に1人で人が座っているのだから、少しは気を遣って欲しいものである。目を瞑るとか、目線を少し下にするとか。そんな、ガン見される位置に顔を持ってこられては私が目を瞑るか、目線を少し下にしなければいけないではないか。私が2人のことを見つめられなくなってしまうではないか。一寸先の私など女性には見えていない様子である。
とても楽しい時間であったが、残念ながら私はここでお別れだ。電車は駅に着き、私は外に出た。すると、カップルが発車ギリギリで駆け降りてきた。私は恐ろしくなった。これはまさか、私が見つめていたのではなく、私が見つめられているのではないか。私はスパイに追われているのではないかと。
だから、靴を履き直して男女に前を歩かせることにした。良かった。普通に私を追い越して、2人はウキウキと歩いて行った。それと同時に一寸先の私など2人には見えていなかったことが証明された。
しかし、私は見てしまった。一匹のカナブンが男性の肩に飛び乗って来たのを。あんな大きな虫が肩に乗っかっていては気付いた時にかなりびっくりするだろう。いや、しかしこの2人ならば肩についた虫さえも笑いの種にするだろう。全然面白くないですよ。
カナブンは2人の行く末が気になるのであろう。その気持ちがとてもよくわかる。改札を抜けても一寸隣にいる虫さえも2人には見えていない。
どうか、振り払われて怪我しませんように。どうか、香水の匂いで気持ち悪くなりませんように。どうか、部屋に入るまでに飛び立ちますように。閉じ込められて、外に出れずに死んでしまう前に。
別れ道に差し掛かる。
「どうか、お元気で。」2人に言ったわけではない。
2019.08.16
【にゃんぞぬな日々・特別編】
「勘違い心拍数」インタビュー
——まず、初のドラマ主題歌のオファーを受けた心境から聞かせてください。
音楽活動をしている上で、ドラマのオープニングテーマを歌うことは、当たり前のように夢だったんですね。でも、聞いた時は「やったー!」っていう喜びよりも、ドラマを映えさせる曲を作らなければいけないっていう使命感の方が勝っていて。せっかく頂いた貴重なお仕事に応えられるように、冷静に頑張ろうって思いました」
——ドラマ側から何かリクエストはありましたか?
「疾走感があって、ちょっと懐かしい感じ」っていうことを伝え聞いておりました。もともと懐かしいような曲が好きなので、自分が好きなものと近いもののご依頼でよかったなって思いましたね。
——書き下ろしになってますが、楽曲制作はどのように進めていきました?
ドラマの資料と相関図、数話分の台本をいただきました。最初は「ドラマに合うように作ろう」って言う冷静な責任感が大きかったんですけど、台本を読んでいるうちに、そういうのに関係なく、「ああ、もう作りたい作りたい」っていう思いが溢れてきて。結果、本能的に作れたと思います。台本を読んでいるだけで、本当に頭の中で連続ドラマが浮かんできたし、音楽を聴いてるみたいに体がリズミカルに動いしてしまうんですよ。めちゃめちゃ面白いドラマなので、アイデアが溢れすぎて、どれにしようか迷いましたね」
——デシさんが台本を読んで感じたこと、共感した部分はどんなところですか?
主人公のムロツヨシさん演じる狛江さんは、自分の言いたいことをあまり言えないで、力のある強い人に丸め込まれてしまってるような気がしたんです。自分もそういうことがあるし、学校や会社でも、権力のある人と意見が違ったら、自分の意見を言うことで自分の立場がなくなってしまったりするじゃないですか。たとえ言いたいことがあったとしても、言った場合のリスクを考えたら、やっぱり言わない方がいいって思って言えないことがあるなと思って。そう社会の中で生きている方が主人公になって、毎日を戦っていく。きっとみんなの心に刺さるし、いろんな人の背中を押すようなドラマなんじゃないかと思いました。
——デシさんの中にも狛江さんはいますか?
超いますね。あははははは。人と意見を合わせて、家に帰って一人になってから後悔した経験はいっぱいあります。なんであの時、自分が思ってたことを言わなかったんだろうって。でも、人と合わせてる時は、合わせてしまってることに気づいてない場合もあるんですよね。我に返った時に、「あんとき絶対に威力に押しつぶされていた」って気づく。相手の圧に負けて、自分の考えが言えなかったなっていうことがありますね。
——先輩後輩、上司や部下という縦社会では避けて通れない部分がありますね。
そうですよね。私は「嫌だな」って思った時は曲にすることができるし、ツイッターやSNSで発散できる人もいると思うんですけど、ずっと溜め込んでしまう人は絶対に辛いだろうなって思って。私、ツイッターを結構見るんですけど、全く知らない人が「自分は周りからおとなしいって思われているけど、それは間違ってる。大人しい人を演じてるだけだから」ってつぶやきがあって。人が表面的に見せている部分と、心の中で思ってることって、やっぱり全然違うんだなって共感して。そういう思いも込めて作りましたし、「あ、今、自分が思ったことを言えてないな」っていう状況になった時にこの「勘違い心拍数」を頭の中でループしていただきたいなと思います。言いたいことが言えないときに自分の気持ちを鼓舞する戦闘歌になったらいいなと思います。
——モチベーションを上げるパワーソングっていうイメージなんですね。でも、最初はラブソングなのかな? と思いました。
あははははは。自分の心にストレスや刺激があった時って、動悸がしてくるじゃないですか。リアルに動悸を感じなくても、焦ったり、心が痛くなったりする時って、ドキドキしてる状況なんだなって思って。そういう他人からのマイナスな<ドキュンドキュン/バキュンバキュン>が降りかかってきた時に、ただ痛いって思うだけだと、辛くなってくるから、恋に勘違いさせて、プラスに持っていきたいなと思って。恋に落ちた瞬間ってキラキラしてると思うので、マイナスの<ドキュンドキュン/バキュンバキュン>って感じた時に、あ、今、自分は恋に落ちたんだ! って思っちゃいたいなと思ってこの歌詞にしました。
——嫌なことを言ってきた相手に対して?
全く別の次元ですね。よくない心拍数になった時に、自分で勘違いして、いい方向に自分を思い込ませるようになりたいっていう感じです。恋に落ちたときは、いろんなものが楽しく見えるから、それを利用して、マイナスな感情を忘れようってことですね。
——確かに聴いてる間に嫌なことを忘れちゃうような爽快感があります。サビの最後には踊りながら一緒に「イエイ!」って一緒に言いたくなリますし。
ありがとうございます。<イエイ!>は歌ってる最中に言いたくなってつけましたね。
——サウンド面ではどう考えてましたか?
私、これを作ってる最中に、ずっとモー娘。さんの「LOVEマシーン」や「恋愛レボリューション21」、DJ OZMAさんの「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」のように、すごいポップで、みんなでわーいって騒いだり、体がめちゃくちゃ踊る曲にしようと思ってたんですよ。でも、サビが<ドキュンドキュン/バキュンバキュンさせて>だから、アレンジもポップにしたら、ポップ×ポップでくどくなっちゃうんじゃないか説が出てきて。もっとセンシティヴな感じにするのはどうだろうかっていうアイデアを会議でいただいて。私、今まで作った曲も、あえて違う方向性のアレンジを形作るっていうのを考えたことがなかったんですよ。自分が作った歌詞、メロディと同じ線上にあるものしか作ってこなかったので、やってみたいって思ったんですね。そこで、美濃(隆章/toe)さんサウンドプロデュースをお願いしまして。
——アレンジを受け取ってどう感じました>これまでにないニューウェーブ〜ポストロック感のあるクールなバンドサウンドになっていて、ちょっと新鮮でした。
最初は動揺したんですけど、化学反応ってこういうことなんだな! って、私の中で革命が起きた感じでした。ポップポップを重ねると、サビの部分は繰り返しが多いので、お腹いっぱいになっちゃってたかもしれないなって思うんですけど、美濃さんのアレンジによって、本当に何回聴いても飽きなくなった。深夜の高速も走りたくなるし、朝の電車の中でも聴きたくなるし、本当にすごいなって思いました。
——確かに都会のナイトミュージック感がありますね。歌入れはどんなアプローチで臨みました?
私はニュアンスとか感情を歌に乗せがちなんですよ。でも、今回はこういうアレンジになったし、サビも<ドキュンドキュン/バキュンバキュン>だから、あまり感情を乗せないほうが、逆に伝わるんじゃないかと思って。暑苦しくなっちゃうと、くどくなっちゃうので、すごく冷静に歌うことに特化しました。あと、私は歌う時に、ちょっと後ろにためてしまう癖があったんですけど、今回はオンタイムでやろうと思って。歌いながらすごい心地よかったし、いろんな発見がありましたね。冷静に歌ってみても、感情を入れてる時と同じくらい、心の中にはふつふつと燃えるものがあった。いつもより抑揚はつけていないけれども、内に込めたものを燃やしながら歌っておりました」
——ドラマのオンエアが始まりましたが、ドラマに歌がついたのを見て、ご自身ではどう感じました?
私が見る限り、すごくハマってました(笑)。ぴったりだと思います。1話では、地方に飛ばされたムロさんが飛行機で隣に座ってきた人の肘掛を取り合いして、ムロさんの分の肘掛も占領されてしまうシーンで流れたんですよ。私は台本を読んでる時にそこに心を打たれてしまって。あのシーンをイメージして書いたから、そこで一緒に流れてるのが本当に嬉しくて、感動しましたね。
——(笑)どうしてあの小競り合いのシーンにグッときました? お金持ちのエリートサラリーマンとムロさんが対比になってるシーンですよね。
帰国子女の友達がいるんですけど、ちょうど帰国子女について考えてた時期があったんですよ。帰国子女って、言ってみれば、自分の力じゃないじゃないですか。生まれてくる環境は自分では選べない。そういう意味では、みんなが帰国子女になれるわけじゃないから、人は平等ではないって考えたんですよ。でも、平等じゃないながらも、みんな投げ出すことなく、朝、電車に乗って働いている。それは、とても強くて美しいことだなって思って。そう言う思いも込めて書きましたね。そして、2話目からはOP映像と一緒に流れるんですけど、<ドキュンドキュン/バキュンバキュン>のところも、拳銃で撃たれたように弾ける感があるし、デザインもレトロポップでカラフルな色彩に合わせてくださってて。何回も見たいですし、毎週のオンエアが超楽しみです!
——ドラマを観て、デシさんを知ったという方にはどう届いて欲しいですか?
ドラマが本当にリズミカルで、この曲も体が動いてしまうので、ドラマのイントロのような気持ちで全てを通して楽しんでいただけたらいいなって思いますね。この曲を聴いたら、ムロさんや古田新太さん、田中圭さんが、愛を持って生きているシーンが浮かぶような曲になって欲しいなと思います。
——夢を/愛を育てていきたいと歌ってますもんね。
そうですね。まず、自分に対して愛を持ってたら、人に対しても愛を持てる気がするんですね。自分がする発言に関しても尊重できるし、その発言を受け取った人も愛を感じれる。そうやって連鎖になっていく気がするし、夢や情熱を持って生きていきたい。全てのものに対して大切だって思える心をベースで生きていけたらいいなって思いを込めております。
——最後に今後の目標を聞かせてください。本作の発売日には21歳になってますね。
とても良い曲ができたので、まずはこの曲をたくさんの人に聴いていただきたいと思います。私は音楽に救われながら暮らしているんですけれども、少しでも誰かを応援できる曲になったらいいなと思います。そして、今回のレコーディングでは、テンポをオンで歌ったり、アレンジを違う方向性にしてみたり、いろんな新たな挑戦をできたので、もっとやってみたいなっていう気持ちがあります。今、いろんな曲を製作しているので、作詞作曲の状態から新しいチャレンジを考えながら、たくさんの曲を作っていきたいなって思います。
取材・文/永堀アツオ
2019.07.22 もてあそばれました。
今日はとても暑い。時刻は14時を回ったところだろうか。真昼の太陽を吸い込んでしまったコンクリートが、太陽を吐き出しているのである。
目的地まで20分くらい歩かなければいけない。歩き始めた地点で喉が渇いていた私は、半分くらいの地点でとてもとてもとても喉が渇いた。コンビニに行きたい。コンビニがなければ自販機でも構わない。しかし、横を見ても遠くの信号を渡ってもどこを見てもそこにあるのは高層マンション。無人島なのだろうかと思うくらい、水分の販売を行っていない土地である。ここは高層マンションだらけの無人島である。
いや、無人島ならばどこかから湧き出るオアシスがあるはずである。目に映る水といえば、昨日の雨で生まれた水たまりが車に轢かれているだけである。もう、これはグーグルマップに頼るしかないとおもったやはり、グーグルマップは最強である。7分歩いた先に某コンビニがあると言い、案内を始めてくれたのである。私は干からびながらも7分間案内に従った。目的地とは反対方向であった。
そして、ついにたどり着いた。目の前に広がるのは、高層マンションであった。
『ん、某コンビニは何処へ?』
私は某コンビニに電話をかけることにした。
私「すみません。店内にはどうやったら入ったらよいでしょうか?」
店員さん「こちらの店舗は住居者様しか利用できない形となっております」
私「かしこまりました。ありがとうございました。」
電話を切ったあと、今私の心は全然かしこまっていないということに気が付いた。え、こんな高度な弄ばれ方ありますか?会員になっていないと、利用できない施設やお店は時々あると思う。しかし、このコンビニはあの某コンビニなのだ。住居者様しか利用できないお店があるのはとても便利で良いことだと思う。しかし、なぜそのコンビニを某コンビニにしたのだろうか。もしくは、某コンビニでも良いけれどなぜ地図に載せるのだろうか。私は思った。某コンビニにすることによって「私達住居者は某コンビニを一人占めできる」という優越感に浸ることができるのだ。住居者様が駅前のコンビニのレジに人がたくさん並んでいるところを見たならば、こう思うことだろう。
『あんなに並んで買わなきゃいけないなんて可愛そうなんだろう。』
私は見下されている。コンビニを利用するために、今すぐにこの高層マンションを買うことにしようか。以上干からびた心でお届けいたしました。
2019.06.22 ネコの集会
あの、猫の集会って知ってますか?
猫の集会とは猫が数匹集まって会を開くことを言います。
絵本の中の話と思わせといて、これが現実の中の話なんです。
なんで現実の中の話なんて、言い切れるの?って思わせといて、これが言い切れる事実を私は隠し持っているのです。
今から私は自慢をします。
自慢というのは、会話の中に上手く馴染ませるよりも宣言してからする方が嫌味がない気がするんですよね。
話を聞いているときに宣言されないで自慢された時って「自分の心が霞んでいるから、自慢に聞こえてしまうんだなぁ」って虚しくなることがあります。
だから、自慢か自慢じゃないか確認したくなります。
しかし、「それって自慢?」という正真正銘の疑問を放ってしまったのならば、それは疑問ではなく喧嘩の販売委員と化してしまうのです。
ということで、今から私は自慢します。
私には猫の友達がいる。友達と思っているのは私だけかもしれないけれど、もしもそうだとしても友達ということに変わりはない。
ほとんど黒色で、足に白い靴下を履いている猫、私称「几帳面」だ。
なぜ「几帳面」かと言うと、白い靴下はすぐに汚れが目立ってしまう。それを毎日履いているということは毎日丁寧に洗わなければならない。すなわち几帳面じゃないと出来ない技である。
時は6ヶ月ほど前に遡る。
風が心地よくスカートの裾を通り抜ける、月の光に照らされた路地裏での出来事である。
いつものように私は几帳面の喉を撫でていた。几帳面は喜んで喉からゴロゴロという音を出し、お腹を出しながらゴロンゴロンと横になっている。
しかし几帳面はいきなり立ち上がったのである。私には几帳面の頭の上に赤い絵文字のビックリマークが点いたように見えた。いや、あれは本当に見えた。
すると、几帳面は数秒前まで私と共に過ごした時間が演技でカットがかかったかのように、颯爽とどこかに走って行ってしまった。
そんなに急いで辿り着く場所って一体どこなの?
私はこっそり後を追いかけた。
そして私は見てしまったのである。几帳面と、その他3匹の猫が円になっているのを。なるほどこれが猫の集会か。几帳面は猫の集会に私を招待してくれたのか?
几帳面も私のことを友達と思ってくれているのか?もしもそうじゃなかったとしても友達ということに変わりはない。
ここまで読んでくださった皆さま猫の集会に参加してみたいと思いましたか?思いましたよね?
あのですね、「猫の集会に招待されていたのかもしれないミュージシャンにゃんぞぬデシ」のワンマンライブに行くと猫じゃらし(新グッズ)をふりながら「にゃーにゃー」と鳴いて猫になれるらしいんです。
ということはですよ!!
にゃんぞぬデシのライブに行けば、自慢することができるんです。
「この前、ネコの集会に参加してきた」って。
2019.05.22 五月健康
五月病って言葉かっこよくないですか?読み方がサツキならば尚かっこいい。
なんですけど、五月にだけ焦点が当てられているのって五月的には心外だと思うんですよね。
「え?なんで自分だけ?」「ひどくない?」「他の月もなかなかなことやってるよ?」皆さま、聞こえますでしょうか?五月の声が・・・
私には聞こえてしまったので、一月から十二月まで作ってみました。
一月病:西暦が変わったことにまだ馴染めていないため、書類などを書く時に去年の数字を間違って書いてしまうこと。
二月病:二月十五日にバレンタインデーが昨日だったことに気づき、なんだか虚しくなること。
三月病:もうすぐで離れ離れになってしまうあの人に想いを伝えるべきか伝えないべきか悩みすぎること。
四月病:昼と夜の寒暖差が激しくて着る服に困ること。
五月病:五月病になっちゃったなぁと思うこと。
六月病:天気予報を見ずに出かけたら雨が降る日が多くて家にビニール傘がたまっていくこと。
七月病:もう夏になったというのに夏っぽいことをできずに今年も終わっていくんだろうなという想像をして悲しくなること。
八月病:花火の音だけ聞こえてきて、今日もどこかでお祭りだなと思うこと。
九月病:夏休みの間に会ってなかったあの子の髪型が変わってたなと思い出すこと。
十月病:特に何もないなぁと思ってたらあっという間に過ぎること。
十一月病:クリスマスについて考え出すこと。
十二月病:クリスマスが終わったらすぐにお正月の方へと移り行き、あっけないなぁと思うこと。
大丈夫じゃないことがいつもになってしまうのらば、やがて全てが大丈夫になっていくかもしれません。
睡眠のことだけは好きでいたいね。明日も健康に生きましょう。
2019.04.22 令和令和令和
こんにちは。春です。にゃんぞぬデシですね。
気づいたんですけど、にゃんぞぬな日々は今月号で1周年でした。読んでくださってありがとうございます。
ということで、いかにも「にゃんぞぬな日々」というような内容にしていくことにしました。
そう、書きたいことは山ほどあるのですが、タイムリーな事はタイムリーな内に書いた方がもぎたてフレッシュ感あるよね。
4月1日に新元号が発表になりましたよね。
4月1日は月曜でした。
空は青い、風は穏やか、春がとても素直な日でした。
私は毎週月曜日15時から1時間、渋谷のラジオという渋谷区のコミュニティFMで生放送をしているのです。
「吉笑に美津留ににゃんぞぬデシのファンタジオ渋谷」という番組です。
落語家の立川吉笑さんと、放送作家・音楽家の倉本美津留さんと3人でやらせて頂いています。お2人のお話はどんな時でも途切れる事がなく、24時間放送とかでもいけるんじゃ無いかと本気で思っています。
『ファンタジオ渋谷というのはファンタジーとラジオを掛け合わせた造語で、その名の通りファンタジーなラジオです。この1時間はファンタジーが当たり前な世界です。だから、ファンタジーが当たり前では無い日常から少し抜け出してみてはいかがでしょうか?』
以上ラジオCM風でした。
4月1日の話に戻ります。
私が目を覚ましたころには新元号が発表されていました。エゴサをするためにツイッターを開くと、令和で埋め尽くされていて、お祭り〜楽しい〜って思いました。
しかし、いざラジオ局のある渋谷に降り立った瞬間になんだか、街行く人々から新しい息吹と足音を感じたのでした。そうか、これが令和パワーか。その時私に初めて、元号発表の時なぜ起きていなかったんだろうかと、しっかりとした後悔が生まれたのでした。
私は歴史的瞬間に眠りの世界にいたのです。「起きたら世界が千年後だった」みたいな感覚ってこんな感じじゃない?って思いました。
そんな気持ちを抱えて「渋谷のラジオ」のスタジオに行ったところ、光り輝くヴェールを目撃したのでした。
スタッフさんが「令和」と習字風に二文字、全面に印刷されたTシャツを着ているではありませんか!!
時代に取り残された私にとって、このTシャツは令和に追いつくための最大の必須アイテムなのです。
「そのTシャツどこで入手したんですか!??」
食い気味で聞いたところ、なんとスタジオの近くで無料で配っていることが発覚したのでした。
20分くらい並べばゲットできるとのことだったので「ファンタジオ渋谷」の生放送が終わってから私はこれで時代に追いつけるとウキウキルンルンキラキラニコニコで配布の列に並んだのでした。
1時間後に曲を録音するためにスタジオに行かなければならなかったので、若干急いでいたのですが30分経っても順番がきません。40分経ってもまだ順番がきません。録音の時間が短くなるという事は私がミスをしなければいい事なのです。だから、この列を外れるという選択肢はこの世にありませんでした。
45分が経過した頃やっと光輝くヴェールに包まれた令和Tシャツが私の手に受け渡され、無事に私は時代に追いつくことができたのでした。
そして、令和パワーで録音も一発で成功したのでした。
今、一応ホームページに第一回目の「にゃんぞぬな日々」を見に行ったのですが、先に言います。
すみません。
第一回目が5月22日だったので1周年じゃなかったです。
2019.03.22 鳩になってしまいました
皆さんは外に出た日に、鳩を見ない日がありますか?
見ない日もあるかもしれないですね。でも、きっと彼等の方はこちらを見ています。
電信柱の上から、木の上から、ビルの上から、あなたの足元から。自分の体より何倍も大きな人間がいっぱいいる道でさえも、同じ場所を歩ける鳩の勇敢さというのは只者ではない。だって、ゴジラがいっぱい歩いている道を普通に歩ける人間って存在するんですかね。
だから鳩はすごいのである。
もしくは、自分のことを羽の生えた特別な人間だと思い込んでいるという説もある。そうでなければあんな余裕に道路を歩けない。そう考えると、私も何でもかんでも思い込めば余裕な人間になれるかもしれない。
やっぱり思い込むのであれば、「思い込んでいる」ということに気づかないで思い込みたい。なんだけど、「思い込む」という言葉を知ってしまっている時点でそれは無理っぽい。
こんな感じで、鳩の考えを考えて散歩してたんですけど、鳩とスズメがすれ違ってるところを目撃したんですよね。この2羽って会話とかできてるんですかね?
でも、鳥類同士だから、関係性的に人間とゴリラみたいな感じで、言葉は通じないんですかね?
言葉は通じないけど、「あなたの考えていること、少しならわかる気がするよ!!」的なスタンスなんですかね?でも、もしもゴリラが人間の社会で共存してたら今よりもっと意思疎通が図れてくると思うんですよね。だから、鳩とスズメは少しの会話ならできるという結論に至りました。あと、鳩って夜どこで寝てるんですかね?夜ってあんまり見かけないですよね。早寝早起きで規則正しいところ見習いたいですよね。あと、鳩って音楽とか聞いたりするんですかね?5時の夕焼け小焼けとか聞いて、「あぁもう5時かぁ」とか思ったりするんですかね?あと、鳩って「♪ポッポッポー鳩ポッポー」の歌を聞いた時「やば!!!自分の歌じゃん!!!テンション上がる〜!!!ポッポポッポー!!!」とかはしゃいだりするんですかね?
鳩のことばかり考えていたら私は飛べない鳩なのかもしれないって思いこんできました。これを読んでいるあなたも、もう鳩になっています。人間に気をつけたいです。
2019.02.22 トレンド1位:にゃんぞぬデシ
都内某所にて、にゃんぞぬデシが主題歌を担当した映画の完成披露試写会が行われており、私も登壇させていただいた。注目作品であり、出演者の方々も豪華。報道陣が大勢いる。そして、案の定私はある件について質問攻めされるのであった。
「先日の紅白歌合戦ではなぜ最初歌われなかったのですか?」
知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私は先日の紅白歌合戦に出場した際に、AメロとBメロを歌い忘れサビしか歌えなかったのである。正確にいうと、AメロとBメロとサビの伴奏が同じ進行の曲だったため歌い出すタイミングを見失ってしまったのであった。頭が真っ白になるとはこういうことを言うのかと思った。
逃げるように楽屋に戻り、携帯を開くとツイッターで動画が拡散され、「にゃんぞぬデシ」というワードがトレンド1位になっている。いくらツイッターが好きな私でもこんなことでトレンド1位にはなりたくなかった。
番組の最後に出場者全員で歌う曲があったため、「自分よ。何も無かったかのような顔をしなさい。」と何度も言い聞かせてその場を乗り切った。しかし、そういう意識が働いているということは私は確実に不自然そのものだったに違いない。
テレビでも録画してきたが、司会の方や審査員の方がどんな顔をしているのかを知るのが怖くて、今のところ一生観れなそうである。
12月31日からの日々はというと、仕事でお世話になっている方にお会いするたびに頭を下げている。
しかしある方は言った「口パクじゃないのが証明できてよかったね。」と。
また、ある方は言った「あれがきっかけでにゃんぞぬデシを聴く人がすごく増えたらしいじゃん」と。
私は、こんなことが言える人間になりたいと誓った。
失敗というものは消すことが出来ない。失敗に何をどう書き足していくのかが大切である。抽象的な例えはわかりにくい。だから私は具体的に例えを作って行こうと決めたのである。
というのが遡ること今から70年前の話である。
続きの話はニコニコ動画の有料会員になると聴くことができる。というのは全て嘘で、なぜこんな嘘を付きたくなったかというと私は最近メンタリストDaiGoさんのYouTubeを観ているが、YouTubeに載っているのは前半のみであり、続きを観るためにはニコニコ動画の有料会員にならなければいけないのである。私はその有料会員になるか、ならないかとても迷っているのである。一つ嘘じゃないことがあった。紅白歌合戦に出場することである。
2019.01.22 20歳になって何か変わった事はありましたか?
「20歳になってから何か変わった事はありましたか?」
20歳になってから背中に羽が生えて、空を飛べるようになったんですよ!
今でもその日のことは鮮明に覚えています。
2018年8月4日、20回目の誕生日を迎えた朝、起きて背中に羽が生えていることに気づいたときは驚きよりも喜びの方が大きかったですね。今まで海外に行ったことがなかったので、今から海を渡ってアメリカまで行くぞ!って決心しました。
でも玄関を開けて外に出てみたら真夏の猛暑で。。。
初フライトで熱中症になるのは嫌なので、アメリカに行くのは断念しました。
とりあえず近所のスーパーに行こうと、なんとなく羽をパタパタとさせてみました。最初の数回のパタパタではバランスを崩してコケてしまったんですけど、何回もやっていくうちにコツをつかむことができました。上空に浮ききるまで左右の羽に均一の力を加えることが大切ですね。もし上手く飛べなくて困ってる方がいたらぜひ参考にしてみていただきたいですね。
仕事とか用事でアメリカに行くタイミングを失ってしまっているので、決心を早く遂行したいですね。
最近よくされる質問に私はこう答えたい。
でも私がそんな答えをしたら本気でそう思っているのか、はたまたふざけているのかどちらか危ういグレーゾーンになってしまう危険性があるので我慢をしている。
だから「お酒を飲んでみました。」と話す。
20歳になった人がする「お酒を飲んでみましたトーク」というのは、私の中で「りんご→ごりら→ラッパ」の流れで進むしりとりをやっているのと同じように感じるのである。さっきのはプラスを頑張って消す我慢。今度はマイナスを頑張って灯す我慢。
ちなみにこれを機に「お酒飲んでみましたトーク」を少し挟むが、コップの3分の1も飲めば動悸・手足の冷え・頭痛がトリプルアクセルを踏んでくる。
背中から羽が生えてくるような目に見える、分かり切った変化など何一つないのに20歳から成人とみなされる世界ってなんだかしっくりこない。だから人間は20歳になったら羽が生えてくればいいのだ。そうすればみんな納得がいく。そして単純に空を飛びたい。
私は大人にも子供にもなりたくないのである。
というか、大人と子供の区別とはなんだろうか?
「大人」「子供」という言葉があることによって、心は知らぬうちに色々なことに縛られていることだろう。
私は何才にでもなれる人間でありたい。
「20歳になって変わった事はありますか?」
たった今思い出したことがある。
私は携帯の目覚ましを5分おきに10セットかけている。以前は1回目のアラームが鳴ると、本能的に携帯の主電源を切っていたが、最近は切らないようになった。
これが20歳になって、というよりも20歳になるにつれて変わったことである。
明日は10時起きだ。
いつも通りにアラームをセットする。
10:00・10:05・10:10・10:15…以前の本能を思い出してしまったが故に、明日は携帯の主電源を切る18才になるかもしれない。
2018.12.31 にゃんぞぬな日々2018
1月
●ギブソンさんからギターを2ヶ月間くらいお借りする。
2月
●にゃんぞぬデシ初楽曲提供
DISH//さんに楽曲提供
『どういうことなんだい?』
3月
●初フルバンドワンマンライブ開催
下北沢MOSAiC
●ミニアルバム「魔法が使えたみたいだった」制作スタート
4月
●J-WAVE
「AVALON」のスピンオフ番組
「渋谷のAVALON」のメンバーに就任する(2年目)
●斎藤ネコカルテットライブにてゲストボーカルで歌わせていただく。
●ミニアルバム「魔法が使えたみたいだった」制作中
5月
●パンダ音楽祭に出演
●Oh!MOMONGAさんとツーマンライブ
●ミニアルバム「魔法が使えたみたいだった」約毎日制作中
6月
●サカエスプリング初出演
●しのぴーちゃん(川嶋志乃舞)とツーマンライブ
●ミニアルバム「魔法が使えたみたいだった」約毎日制作中
7月
●ミニアルバム「魔法が使えたみたいだった」約毎日制作中
●ミニアルバム「魔法が使えたみたいだった」リリース!
●「魔法が使えたみたいだった」収録曲『同じ空の下どころか』のMV公開
8月
●TBSラジオ「ハライチのターン」岩井生誕祭でバースデーソング「モネちゃん」を作らせていただく。
●にゃんぞぬデシ20才誕生日ワンマンライブ開催
渋谷O-Crest
●C.I.A.さんに楽曲提供
『お揃いの1日』
●「魔法が使えたみたいだった」収録曲『am:pm』のMV公開
9月
●「魔法が使えたみたいだった」タワーレコードインストア初ツアー全国を周る"猫マタ旅"に行く。
10月
●アニメ「おこしやす、ちとせちゃん」で初エンディング曲を担当させて頂く!『泣く子も笑う』
●第1回「米百俵フェス」に出演
サンプラザ中野くんさんとパッパラー河合さんと「runner」を歌わせていただく。
●フィロソフィーのダンスさんの定期公演ライブに出演
●『泣く子も笑う』配信リリース(初)
● TBSラジオ「おぎやはぎのメガネびいき」を聴いていたら『泣く子も笑う』が流れてきた。(初オンエア)
●「博多華丸・大吉のオールナイトニッポン」のジングルで『泣く子も笑う』が使われていた。
●「魔法が使えたみたいだった」収録曲『ネゴト』のMV公開
11月
●初学園祭に出演!「明石高専祭」
●にゃんぞぬデシ企画
師匠降臨vol.4
TOMOOちゃんとツーマン
●ニッポン放送初出演する
「billboard JAPAN HOT100 COUNTDOWN」
●アニメ「おこしやす、ちとせちゃん」を楽しみに生活する。
12月
●曲を12曲は作っている
●「おこしやす、ちとせちゃん」の夏目靫子先生と対談させて頂く。
●アニメ「おこしやす、ちとせちゃん」を楽しみに生活する。
●2019年 1月1日『三四郎のオールナイトニッポン2019新春初笑いスペシャル』の出演を楽しみに生活する。
●成人式に行く日だという事を気付かず、成人の日にワンマンライブを入れてしまう。
1月14日(月祝)渋谷eggman
皆さま遊びにいらしてくださいませ。
月で分けられなかったにゃんぞぬな2019
●渋谷のラジオ
「吉笑に美津留のファンタジオ渋谷」の準レギュラー
放送作家の倉本美津留さんと落語家の立川吉笑さんのトークがめちゃくちゃ面白いです。不定期で私1人になる回もあります。毎週月曜15時〜生放送
●bayfm「ON8+1」
2年前のミニアルバム「ハッピーエンド建設中」の時から応援してくださって、今年もたくさんお世話になりました。もう、家族です。千葉の実家です。大好きです。
●FMヨコハマ「いきものがかり山下穂尊の上手投げ!!!ラジオ」
何度もゲストで出演させていただきました。私がゲストで出演していない時に、「後輩のにゃんぞぬデシ」って山下さんが言ってくださっていてなんか、最強に嬉しかったです。
●TBSラジオ「ハライチのターン」
毎週絶対聴いているリスナーですが、時々「にゃんぞぬデシ」という言葉が聞こえてくると心臓が止まりそうになります。本当にありがとうございます。
●隔週金曜20時〜生放送
ラインライブ「にゃんぞぬデシの猫じゃらし」
質問箱の良い使い方を発明しました。何か嬉しかったこと、嫌だったこと、質問、相談があったらいつでも、24時間質問箱に書き込んでください。毎週できない時もありますがみんなにお会いできるのをいつもたのしみに放送しています。
これがリアルにゃんぞぬな日々です。
テストには出ません。
時の流れって早かったり遅かったりで不思議です。
「え、これがこんなに前なの?」とか「え、これってこんなに最近だったっけ?」とか、スケジュール帳を見返していたらそんなことばかりですよね。
表にしてみると今年は「初」がいっぱいだったということに気づきました。
これから、今年「初」だったことが「ありがたい当たり前」になっていけるように頑張るのみです。いま、私の音楽を聴いてくださっている皆さまが「前からこのアーティスト聴いてる」って心のどこかで嬉しくなれるような音楽の人になりますね。
私はたくさんの方々、曲を聴いてくださる皆さまに支えられて生きています。それはどれくらいかというと、私はこんなに支えられるに見合う人間なのだろうか?と、考える程度です。
そして皆様のことが大好きです。今年もありがとうございました。こういう、文章を書いていると嘘じゃないのに嘘っぽくなっちゃってる気がする、とか思って、思って、思って、目が回るほどぐるぐるしてしまうので、ぐるぐるしてしまった分は音楽に変身させてみんなにお届けにあがります。では、さよなら2018年。
2018.11.22 まるちゃん
「あと一駅で着く!」そうLINEを送った。
今日は4年ぶりにディズニーシーという国に行くのだ。4年前と同じ人。大好きな友達まるちゃんと。
そして、私は駅に降り立った。さすが4年ぶりに来ただけある。駅から見える景色が変わっていた。まるちゃんから「改札出て右にいる」とメッセージが来た。私は改札に出て右に行った。あれ、まるちゃんがいない。
そこで初めて気づいた。
私が降りたのは舞浜駅ではなく浦安駅だったということを。乗り換え案内検索の時点で浦安駅と入力していた。漢字で二文字。うん、とてもよく似ている。いや、似ていない。
私は30分遅れて舞浜にたどり着いた。本当に他の国にたどり着いたみたいな達成感を味わった。遅刻している分際が。
まるちゃんは浦安から舞浜までの旅を忙しなく謝罪する私を約1分でスルーして、旅行のお土産と、ポップコーンとじゃがりこをくれた。
ディズニーシーという国に足を一歩踏み入れた。なぜ、この場所はこれほどまで人をワクワクドキドキさせるのだろうか。感動が散りばめられている。でもそれを「夢の国」と言ってしまうのは寂しいから私はそう言いたくない。
マーメイドラグーンシアターという所に初めて行った。『リトル・マーメイド』のアリエルのミュージカルショーだった。アリエルは大人数いる姉妹の末っ子だ。姉妹の中で一番若くて才能があって期待されているアリエルである。ミュージカルの最中、お姉さん達はみんなアリエルを愛し応援している様であったが、これが現実の人間だったら、嫉妬が飛び交って大変なことになるとよぎったが、すぐに考えるのをやめた。このミュージカルが本当にすごくて、アリエルがヒモで天井から吊るされていて空中を泳いでいるみたいな振り付けで踊ったりetc…文章で説明するとリアルとファンタジーが喧嘩してしまうことに気づいたので観に行ってみてください。本当にすごいです。感動して泣いた。
そんな感じで朝9時から21時までずっと感動し続けていた。時間があっという間にすぎるのはこの国に遊びに来たからではない。まるちゃんはいつも時間を早く進ませる天才だ。4年前とは話す内容もだいぶ変わっていた。着ている服、よく会う人、起きる時間、使う電車、いつの間にか埋まっていった今までを、掘り起こしてみるのも面白い。映画の登場人物になった気分だ。
逆に変わっていないものは何だろうかと考えれば、まるちゃんが浮き上がる。私はまるちゃんが大好きだ。
2018.10.22 集中パワー
駅ビルの休憩スペースに置かれた長椅子。
制服を着た男女が2人座っていた。私は2人の隣に座った。なんだか気まずいので2人に背を向けて携帯を見ていた。
なぜ、集中していると周りの音は聞こえなくなるのか不思議だ。
人と会話している最中、返事を書いている最中、歌詞を考えている最中、ツイッターを開いて趣味のエゴサをしている最中(にゃんぞぬっていっぱい呟いて下さるとただひたすらに嬉しいです。よろしくお願いします)、アメリカに行ってみたいけど一緒に行ってくれる人がいなかった場合1人で行かなければいけないから少し怖いなぁその前にアメリカ行くお金ないなぁと考えている最中、周りの音が無意識に入ってこない。
ふと周りの音が聞こえ出したなら、それは集中がどこかへ飛んで行った合図なのだ。
後ろから男子学生の声がした。
「おつかれさまです。先日の件は大変申し訳ございませんでした。」
なんて大人な男子学生なのだろうか。
高熱を出てしてバイトのシフトを当日キャンセルしてしまった謝りの電話か?
授業中居眠りをしてビクっとなった時にそのビクっが大きすぎて教室の床に穴を開けてしまった謝りの電話か?
黒板消しを持って帰ったら無くしてしまった謝りの電話か?
いずれにせよ、制服を着た学生がこんなに丁寧で礼儀正しいことに尊敬の念を抱いた。こういう人の彼女もきっと良い人なんだろうな。いや、後ろの2人は付き合っているのか?ただ2人で座っているからといってカップルだと決めつけてはならないのだ。手を繋いでたりするだろうか?確認したかった。私はさりげなく後ろを振り返った。
すると、そこにいたのは制服を着た男子学生ではなくスーツを着た二十代くらいの男性だったのである。
一瞬冷静になったところ答えが出た。私はさっき、考え事に集中しすぎていたのだ。おそらく集中パワーが莫大で、宇宙に何らかの影響を及ぼし、光の速度で私だけ未来へ進んでしまったのだ。
今、私の横にいるのは紛れもなくさっきいた男子学生の数年後だ。隣に彼女の姿はない。
別れてしまったのか…ただの友達だったのか…確認してみたい。
大人には謝ることがいっぱいあるのか。
まだ、電話で話している。
「本当に申し訳ございません」
電話の向こうに向かって何度もお辞儀をしている最中だ。
きっと今、私が「数年前からタイムワープしてきました。」と言ったって彼には聞こえないだろう。
2018.09.22 遠慮の塊
にゃんぞぬデシは初インストアツアー『猫マタ旅』をしてまいりました。全国6ヶ所へ音楽を届けに。たくさんの方が出会ってくださり、皆様に『またここで歌う為に頑張る』という気持ちを戴きました。ありがとうございます。猫マタ旅大阪編でにゃんぞぬデシが立ち上げた自主レーベル「三毛猫レコーズ」のみんなでたこ焼きを食べに行きました。たこ焼きは全部で4種類。ソース味、醤油味、塩味、ポン酢味。大きなお皿に6つずつたこ焼きがのっています。全種類食べたところで、大皿を見てみると見事に各味1つずつたこ焼きが残っていたのです。テーブルに運ばれて来た時はチームソースvsチーム醤油vsチーム塩vsチームポン酢のように闘争心が漲っていたたこ焼きたち。しかし時が経つに連れ大勢のメンバーは就職をすることを決意し、「たこ焼き」から卒業してしまったのだった。そして、1人1人取り残されたソース、醤油、塩、ポン酢達。次週「取り残された4人!芽生える絆!??」というようなことを考えていたりいなかったりしていた私ですが、三毛猫レコーズの人が「遠慮の塊だね〜」と残ったたこ焼きの方を見て呟いたのです。私の耳が震えました。遠慮の塊!!!すごい言葉だ!!!「遠慮」というものは目に見えない概念なのに、「遠慮の塊」という表現をすることによって「遠慮」が目に見えているではないか!!!と、ショックなほど感動してしまいました。この言葉を生み出した人、詩人ですよ!天才ですよ!
いま私は自分で作った「遠慮の塊方程式」にハマっている。
「幸せのかけら」→お祭りですくってずっとテーブルの上に飾っていたがしぼんでヨボヨボになってきてしまったヨーヨー。※注意フィクションです。
「嗚咽の標本」→やけ酒をし、片付けなければいけないとは思ってはいるが、これが自分を表しているものだということを自覚して満足したいがために散乱したままにしている瓶や缶。※注意フィクションです。
「欲望の塊」→初めて食べた醤油味のたこ焼きが美味しすぎて最後の1つを食べてしまったにゃんぞぬデシ。※注意ノンフィクションです。ごめんなさい。
2018.08.22 平成最後の夏
私はかき氷屋でバイトをしていたこともある程かき氷が好きだ。8月4日に誕生日プレゼントでかき氷機をもらってからかき氷ofライフを送っている真っ最中である。
私はワンマンライブで水を飲むとき魔法瓶を使用する程魔法瓶が好きだ。朝、魔法瓶に氷を満タンに入れてそこに飲み物を注ぐと夜中までキンキンに冷たいままである。電気を一切使っていないのにすごすぎる。まさに魔法の瓶である。6月初夏に使い始めてから魔法瓶ofライフを送っている真っ最中である。
私の「平成最後の夏」はかき氷機と魔法瓶と生きた素晴らしい日々である。
今日は暑い。制作スタジオで音楽を創る予定がある。朝起きると冷房が敵わない、真夏の日がカーテンを突き抜けていた。これは朝ごはんにかき氷を食べるしかない。
時間に余裕があったので、かき氷を2つ製造して食べた。ちなみに1つ目は、きな粉練乳。2つ目はみかんソースだ。しかし、いつものようにかき氷の美味しさに感動していたところ家を出なければならない時間がギリギリになってしまっていた。
私は慌てて歯を磨いた。鞄を持ち、魔法瓶をいれ、ギターを背負い、靴を履き、外へ飛び出した。そこで私は気づいた。
歯磨き粉を口に含んでいるままであるということに。
焦り指数が平常値を超えていたのだ。だが、急がないと電車に乗れないので頬を膨らましながら走った。向こうから歩いている人から見れば、私は何かに対して怒りながら猪突猛進している音楽家だ。口に歯磨き粉を含みながら走るということは想像をはるかに超えた辛さであるため、非常識ではあるが、早く駅について駅のお手洗いで出そうと決意した。
駅に到着したのは電車が発車する1分前。だが、辛いのでホームから少し離れたお手洗いに向かった。しかし、全部人が入っていた。洗面所はピアスを直している人と髪型を整えている人で埋まっていた。私は『あああああ』と、大きな声で言いたいくらいだったが歯磨き粉に占領された口は開けることができなかったため歯磨き粉がはいっていてよかったと思った。
結局歯磨き粉ステイのまま電車に乗った。いま、私を笑わせるような人が電車に乗ってきたならもう終わりである。ふなっしーの梨汁ぶしゃー実写化である。だから感情を無にして電車に乗っていた。頬を膨らましながら。ほかの乗客から見れば私は何かに対して怒りながら電車に飛び乗ってきた音楽家である。あと少しで駅に着きそうになったとき、とても喉が渇いていることに気づいた。熱中症になるかもしれないという急な恐怖が歯磨き粉を飲む気持ち悪さに一瞬で勝った。私は無意識に歯磨き粉を飲み込んでいた。すぐに魔法瓶から水を飲んだ次の瞬間、私の口と喉が凍った。これは過剰表現ではない。本当に凍ると思った。魔法瓶に入ったキンキンに冷えた氷水と、歯磨き粉のミントが合わさり氷点下になっているのである。
そして、歯磨き粉氷水は体内で2杯のかき氷と待ち合わせをしていたため、結局私は氷になった。私の体は『平成最後の冬』だ。しかし『平成最後の冬』は『平成最後の夏』にすぐに溶かされ短い幕を閉じたのであった。
2018.07.22 甘栗ソムリエへの道
好きな食べ物一品だけ、無限に出てくる魔法が使えたとしたらあなたは何の食べ物にしますか?
私は迷わずに「甘栗」と答えます。
できれば殻付きのやつでお願いします。私は甘栗ソムリエにすらなりたい。
そんな魔法はまだ使えたことがないんだけれど私は『魔法が使えたみたいだった』というミニアルバムを7月25日(水)にリリースするのである。
春から夏までずっと1日10時間くらい制作部屋に閉じこもっていた。
私は制作部屋の壁に『甘栗のストックは絶対に切らさないようにしよう!』という透明なスローガンを貼ったのであった。だから毎日甘栗も一緒だった。
益田トッシュさんという音楽家の方と一緒に、にゃんぞぬデシの歌とギターだけが録音された楽曲を色とりどりにしていく、アレンジということをしていた。
今回、アレンジを一緒にすることができてどの曲どの1秒を切り取っても私が最高だ!素敵だ!と思ったものが詰まった作品にすることができた。
制作も佳境に入った時期に事件は起きた。いつも購入していた甘栗が、パッケージは全く変わらないのに中身というか、甘栗の製法が変わってしまったのである。
例えるならば、見た目は全く変わらないのにある日突然、「無口になりふざけることもしなくなったクレヨンしんちゃん」というくらい衝撃的なものであった。
あっけにとられていた私の目の前にガラスのお皿に盛られた甘栗が置かれていた。
甘栗畑から収穫してまだ5分しか経っていない。釜の中に放り込み、炒る。ホクホクと湯気が立つ。甘栗達はそんな、新しくて鮮やかな顔に生まれ変わっていた。
トッシュさんがフライパンで加熱してみてくださったようだ。
一粒口に入れて見た。私は甘栗を飲み込むまで中国天津に瞬間移動することに成功した。
トッシュさんは実は甘栗ソムリエだったのだ。
私はミニアルバム『魔法が使えたみたいだった』制作中に魔法を手に入れたのであった。
にゃんぞぬデシ甘栗ソムリエへの道はまだまだ続く。
2018.06.22 ネコ型ロボット
夜9時。
夏になりかけている。
駅に着くまであと8分。
私を追い越していく人、すれ違う人は会社帰り、学校帰り、塾帰り、遊び帰り、バイト帰りのどれだろうか。歩いてる人みんなが帰り道とは限らないんだけどね。
私は、歩いている途中にだって道路で寝てしまいそうなくらい強さを持った、睡魔と闘っている真っ最中であった。
眠い。眠い。とにかく眠い。
私は真面目に考えた。あぁぁドラえもんがいたら『ドラえも〜ん。どこでもドア出してよ〜。眠すぎるよ〜。もう家まで帰れないよ〜』って言って助けてもらえるのに・・・
この日は朝から7月にリリースするミニアルバムの制作をしていて、10時間くらいスタジオにずっと篭っていた。
10時間くらい。
普段なら長時間同じ場所に居たくないと思うんだけど、制作中はそんなことを思う隙もなく、知らぬ間に太陽が居なくなって、月が浮かんでいる。音楽は浦島太郎の微弱玉手箱みたいだ。
そんなこんなで、集中していた頭はスタジオを出た瞬間に解き放たれて、身を潜めていた睡魔が突進してきたのであった。
なんとか駅に辿り着き、電車の座席に座り光の速さで私は寝た。
「ニャオニャオ」と聞こえてきた。
私は目を開けた。まだ1駅しか進んでいなかった。
隣に「ニャオニャオ」を鞄に入れたお姉さんが座ってきたのであった。
鳴き声の姿を見たい!!!!!
茶トラか?白か?黒か?お姉さんの雰囲気的にロシアンブルーか?
しかし、鞄は「ニャオニャオ」が怖がらないように布で覆われている。
どうしても鳴き声の姿を見たい。必死の思いは届かずお姉さんは、わずか2駅で降りてしまった。
気づけば私の目は冴えきっていた。
実写版ドラえもんが目を覚ましてくれたのであった。
いや、あの鞄の中には、私の目を覚ますために未来からやってきた、猫に変身した本物のドラえもんが入っていたのかもしれない。
2018.05.22 1万6800円
にゃんぞぬデシです。私3年前に貯金箱を買いました。五百円玉を満タンに入れると20万円になる貯金箱です。高校2年生の私にとって、五百円の生存が発覚するたびに貯金箱の音を立てなければいけないというのは修行同然あり、6枚で断念しました。そこで五十円玉貯金にシフトすることにしたのでした。これだと満タンに入れると2万円になる。五百円と五十円の差額は450円だけど、20万と2万の差額って18万もあるんですね。算数の文章題つくれそうです。
貯金箱は忘れ去られていた時期もありましたがずっと五十円玉貯金を続けるようになっていました。五十円玉のお釣りがくるようにSuicaの入金機では千円札を投入してチャージ金額は950円にしてたくらい五十円玉に染まった生活です。十円玉×5枚でお釣りが出てくる確率は42パーセントです。
そして、先日ほぼ満タンになった五十円玉を通帳に預けることにしようと決め銀行に行ってきました。ATMで入金できると思ってたら、硬貨は窓口に行かないとだめだった。窓口の銀行員がガシャガシャと五十円玉を機械に放り込んでいる最中「できるだけ大きく変身して」って唱えてましたね。そして領収書的な紙をもらい、合計金額が判明!
1万6800円!&手数料的なやつ200円!
ちょっとぉぉぉ!!!手数料の200円なかったら1万7000円でなんかかっこいいのに…貯金を引き出す時に手数料取られるのはまだわかるんですけど貯金するときに手数料取られるって皮肉じみてませんか…
振り返ってみてみました。貯金箱代が100円、手数料が200円。300円赤字なのかもしれない。五十円玉貯金をしていなかったら1万6800円使っていなかっただけかもしれないって思ってきてしまったんですね。そこで、私は閃いたのです。牛乳パックに千円札貯金をすればいいのだと。にゃんぞぬデシ硬貨生活スタート。(2枚で断念)
2018.05.22 タイムスリップ
2018年春、私にゃんぞぬデシの夢が一つ叶った。フルバンドでワンマンライブを行なったのである。
夢が叶ったということで、夢が誕生した時代にタイムスリップしてみたいと思う。時は、5年前にゃんぞぬデシ中学2年生である。小学生の頃マイケルジャクソンに衝撃を受けて以来、音楽には必然的な憧れがあったものの、私に『バンドをやりたい』という気持ちを発生させた光たちは4つあった。
1つ目はBECK(漫画)
2つ目はBUMP OF CHICKEN
3つ目はスピッツ
ここで『コユキも藤原さんも草野さんも皆んな歌いながらギター弾いているではないか!!そうか!!ギターを持てば自動的に曲が作れるようになるのか!!私もギターを買おう!!』という発想に至ったのである。
そして4つ目は閃光ライオット(聞いていたラジオSCHOOL OF LOCK主催のコンテスト)に出場したいという思いであった。だが、しかしギターを買うお金はない。そこで1日300円支給されていたお弁当代をへそくりすることにしたのであった。日に日に膨らんでいく憧れに相反して、へそくりの金額はなかなか成長してくれなかったが半年以上かけてやっと目標金額の2万円に達したのであった。小銭だらけの2万円を制服のポッケに忍ばせて入った教室では誰もが泥棒に見えた。授業が終わったあと、一番乗りで学校を飛び出しハードオフへ急いだ(楽器を売っているお店そこしか知らなかった)
楽器コーナーをちゃんと観るのはこの日が初めてだった。姿勢よく陳列された何十本ものギターは、飼い主に売りに出され、落ち込んだ表情をしているようだった。
端から順番に物色していく途中で三千円の赤いギターを見つけた時、想定外の安さにへそくり2万円の歳月も落ち込んでいた。私は赤が好きなのでこのギターを買うことに決めたのである。レジにギターを持っていくと店員さんが「このまま持って帰りますか?」と言った。たしかに素のままでは持って帰れないということに気付いた。ふにゃふにゃのギターケース(別料金500円)も一緒に購入して赤いギターを中に入れて持った時『新しい飼い主です。これからよろしくお願いします。』と伝えた。初めて背負ったギターが自動ドアに写っていた。最高にかっこよかった。
お店を出ると小雨がちょうど降り出したため「れいんちゃん」と名付けたが、未だに一度も名前を呼んだことはない。いつもはうなだれる雨の中を頭の中でスキップしながら帰宅し、さっそく弦に触れてみたが全く音がしない。あのギュイ〜ンという音が。三千円で壊れたギターを買ったのだと絶望していた。
私はアンプという存在を知らなかった。
私はエレキギターを知らなかった。
私は5年前ギターを弾けなかった。
私は5年前、曲を作っていなかった。
私は5年前いま出逢えている人の半分以上が知らない人だった。
私は5年前ギターを始めたのである。
タイムスリップ終了。
これからも数えきれないくらいタイムスリップをしていく。夢が誕生した場所へ。夢を叶えて。